外山周です!
千葉県松戸市にある「陸軍工兵学校跡地」に行ってきました!
軍跡が大好きな私としては、絶対にこの目で見ておきたいポイントがあったのです。
見落とせないスポットを、写真と併せて紹介していきます!
工兵学校の見落とせないスポット
千葉県松戸市にある「陸軍工兵学校跡地」は、今は複数の学校の校舎と、市民が憩う公園になっています。
まずは当時の門柱!今は公園の正門です。
次に記念碑。
軍跡に来たら、記念碑の日本語を必ず読んでおきたいところです。ここに当時を生きた人達の思いが詰まっているからです。
陸軍工兵学校は
(中略)
逐年その実績を挙げ
大正十五年十月二十八日
摂政宮殿下の台臨を始めとして
幾多の栄誉に浴せしが
昭和二十年戦争の終局とともに
光輝ある二十七年の歴史を閉じたり。
いま台上往年の面影を留めず
よって縁故者あい謀り
記念碑を建立して後世に遺す。
意訳
「陸軍工兵学校は年々実績を作り、1926年に摂政宮殿下(後の昭和天皇)がおいで下さるなど、多数の栄誉をいただいた。しかし1945年の終戦とともに、光り輝く27年の歴史に幕を閉じた。今では以前の面影はないので、縁故者で記念碑を立てて、後世に遺します。」
・・・。
当時を生きた方には、摂政宮殿下のご行幸が、きっと想像もつかないほど光栄で嬉しいことだったのでしょう。
戦後じょじょに変わっていく景色を間近で見ていた方達の心中は、どんなものだったのだろうなと思います。
そして今大学がある方向にぐるっと回ると見れるのがこちら。
細い道を歩いていくと見えるので、ちょっとだけタイムスリップの気分になれます。
帰り道は通称「地獄坂」を降ります。
工兵学校は高台にあって、現在は松戸駅近くのイトーヨーカドー5階の出口から行くことができます。つまり、1階〜5階の高低差があるんですね。
この坂を、当時の軍人さん達は走って訓練したのだそうです。
その「地獄坂」の途中に、ひっそりと石標が残っています。
坂道の途中にあって意外に小さく、見落としがちかもしれません。
「工兵」は軍のエンジニア
「工兵」とは、今風に言うと軍隊のエンジニア。
・地雷撤去
・船舶の管理
・バリケードを築く
等の役割を持ち、頭脳で戦うエリートです。戦闘員ではないけれど、ものすごく高い専門知識と技術が要ります。
そのエリートを育てるための唯一の学校が、「陸軍工兵学校」でした。
歴史が27年ということは、当時にしてみればかなり新しい学校だったと言えます。
入学するのは各部隊から選抜された兵士で、卒業後に原隊に復帰していたらしいので、プレッシャーもものすごかったと思います。部隊を背負って勉強に来てたってことですよね。
ということは、当時の松戸はエリートが集まる街。
工兵の街として栄えた時代があったのですね。
松戸を通る新京成線も、かつては軍用線路だったそうです。
私にとっての「軍跡」めぐり
ということで、現在の工兵学校跡地は駅近の公園となり、子供の声が響く平和な場所になっていました。
戸山学校跡地に行った時は体調を崩しましたが、工兵学校跡地は平和です。敏感な人でも安心して行けると思います。
その時代なりに国を守ろうとした「軍人」が生きた場所である、軍学校跡地。
まだ残っているうちに、出来るだけ多くの跡地に足を運びたいなと思います。
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