「考える」という言葉があります。
現代では、頭を使って知的に思考をめぐらせることが「考える」だとされています。
・知的な分析 = 考える
・感情的な瞬時の動き = 思う
このように、「考える」と「思う」が使い分けられています。
考える = かむかふ
この「考える」という言葉の古形は「考ふ」で、「かむかふ」という発音でした。
分解すると「か – むかふ」です。
日本語の1つの音に、それぞれ意味がある
日本語の1つ1つの発音には、古来からそれぞれの意味があったと言われています。
例えば、
・「は」 = 命のみなもと、再生
・「ら」 = いっぱい
→「はら」 = 命がいっぱい再生するところ
(「はら」 = 腹、原、肚…)
という具合に、1つずつの音が持つ意味を組み合わせて、単語になっていたと言われます。
かむかふ = 神向かふ、神迎ふ
この考え方では、「か」という日本語の発音は「神」という意味です。
つまり「かむかふ」は
・神向かふ
・神迎ふ
と表すことができ、神に向かうこと、そして自分に迎えることが「考える」ことだ、ということができます。
「考える」に宿る意味
「考える」ということは、神を自分に迎えて、一体となること。
今は頭で思考をめぐらせて「あーでもないこーでもない」と分析することが「考える」の意味ですが…
普段何気なく使っている日本語にも、実はこんな意味が宿っています。
最近、色んな分野で
「直感を大事に」
「感性とワクワクを大事に」
と言われています。
頭で思考せず、直感を信じて、やりたいことをやっていこうと言われます。
ガチガチの思考ではなく、閃きを迎えにいくことが古来の「考ふ」だったとしたら。
最近の「直感や感性を大事に」という概念は、実は「考ふ」という言葉に既に宿っていた…ということです。
要約
・何気ない言葉が核心をつく
・日本語すごい
それではまた!