外山周です。
「自分らしい」ってどんなことなのか、
何がしたくて、何が自分のミッションなのか、
そんなことを意識しながら生きている最近です。
あなたは「やりたい」と思うことを、躊躇なくやれていますか?
私は日々悩みながら、躊躇しまくりながら、なんとか細々とやりたいことを続けています(笑)。
やりたい方向に全力を注げない理由は、小さい頃から積み重ねてきた思考の癖や思い込み(ビリーフ)等だということが、ここ1年でやっと分かってきました。
心理面を自己探求すると、そのあまりの深さに驚きます。
思考の癖やビリーフは、出元を探ろうとするとどんどん年齢を遡ることになります。
私は小さい頃の記憶が殆どありません。
どんなセッションでもインナーチャイルドを見れないことにも、少し引っかかりを感じていました。
何か覚えていないくらい小さい頃に、ラスボスとなる地雷が埋まっているんだろうなぁ・・・と、漠然と感じていました。
今日は、そのラスボスのしっぽが見えた(掴んではいない)という話を書きたいと思います。
なんと私の場合、0歳にまで遡る必要があるようです・・・。
「今」の感情から「過去」へ
私は21歳の時に初めてうつ病になった当時から、既に無力感がありました。
「何もできない」
「どこにも行けない」
「誰か助けて」
言葉にするとこんな感じでしょうか。
この頃のカウンセリングは、「感情を言葉にする」が主なワークでした。
「私はねむい」
「私は怒っている」
「悲しい」
こういうレベルの感情に気付き、言葉に出すことから練習を始めたのです。
これがまためっちゃ辛かったのですが、それから何年もの時間をかけて、やっと感情と言葉が少しは直結するようになりました。
「今ここ」の感情を少し言葉にできるようになってからは、少しずつ過去へ遡って、子供の頃感じていた筈の感情を取り戻すフェーズに入りました。
子供の頃の記憶を引っ張りだし、気持ちを感じ直し、再解釈するのです。
それでも「無力感」が消えなかった
この感情のワークを地道に続けるのと併せて、子供の頃したくても出来なかったことを1つずつやってきました。
ポケモンを見まくるとか
ケーキを好きなだけ食べるとか
お洒落をして遊びにいくとか
自分の力で出来ることが増えるたびに「取り戻す」感覚があったけれど、何かつっかえてる感じというか、詰まっている感じは消えませんでした。
相変わらず子供の頃の記憶もないままでした。
「何もできない」
「どこにも行けない」
「誰か助けて」
これに加えて、言葉にできないモヤモヤが常にありました。
感情を癒しても癒しても、掘っても掘っても、ぜーんぜん無力感が消えなかったのです。
言葉にできない「モヤモヤ」の正体
最近受けた心の師匠のセッションで、この無力感と「モヤモヤ」の正体をやっと掴みました。
初めてインナーチャイルドを見ることができました。
1歳半か2歳くらいの私が祖父母の家の玄関で泣いていて、母を待っているイメージが浮かんできました。
その玄関から1歩も動けない。
ドアノブに手も届かない。
「お母さん!」って声を上げることもできない。
そんなイメージの中、私は声を出して安心を求めることは諦めたんだということを、やっと感覚で知りました。
そしてドアノブに手が届くようになるために、「まだまだだ」「全然足りない」と自分を急き立ててきたんだということ、
でもどんなに頑張っても、私は玄関から動けなかったんだということも、同時に感覚にストンと落ちてきました。
今までめっちゃ頑張ってきたことや、それと同時に「動けない」をずっと感じていたことの理由が分かりました。
更に奥に0歳の自分がいる
ここで終われば良かったのですが、続きがあります(笑)。
セッションも終盤に差し掛かった時に、0歳の自分についての質問が飛んできました。
「誰が3時間置きに授乳をしてくれたのか」
「誰が生まれてすぐのあなたを抱いてくれたのか」
この質問を受けた瞬間、全身に一瞬で鳥肌が立つような感覚があって、「気持ち悪い!」と思ってしまったのです・・・。
生まれて間もない無力な自分が、その無力な状態で実母の腕に抱かれていたと考えるだけで、もう駄目です。
気持ち悪すぎて吐きそうorz
全力で身体が拒否反応を起こすのが分かります・・・。
それで私の今の生きづらさの大元は、2歳の玄関から動けなかった私を更に飛び越えて、0歳の頃にもあるんだろうということが、これまた感覚でよく分かりました。
グラウンディングが弱い理由
自分がふわふわし過ぎていてグラウンディングが弱いことに、ここ1年くらいずっと悩んでいました。
ちょっとスピスピした表現になってしまいますが、
・頭に気が集中し過ぎている
・お腹に気が降りてきてくれない
・気がめぐらない / 枯れている感じ
という感覚がずっとあって、その結果やりたい事があっても身体がめっちゃ重くなり、「う、動けん・・・」となってしまうのです。
この感覚もまた0歳に何か埋まっているとすれば、納得です。
今までで1番納得している。
そうは言っても、どうすりゃいいの?
言葉にしづらいモヤモヤや感覚すべて、0歳の自分に端を発していると思うと、ものすごい不思議な腹落ち感があります。
「すべてこれが原因かー!」という感じです。
そりゃ0歳児は言葉を話せないのだから、そこからずっと続いてきた感覚だと思えば、言葉にできないのも無理はないなと思います。
で、問題は、
もうこれ以上どうしろっての?
ってことです(笑)。
話せるようになった後の記憶なら言葉で発掘できるでしょうが、0歳なんて神の領域だと思うんですが・・・そんな頃のトラウマなんて、どうやって発掘すんの?
方法は何かしらあるのだと思いますが・・・
率直に言って、怖いですね(笑)。
21才から今まで、カウンセリングは螺旋階段のように続いてきました。
1つ地雷をやっとの思いで撤去すると、すぐに次の地雷が現れてきりがない。
それでも、だんだんと時間を遡るように、1つずつやってきました。
思えば去年の今頃は、小さい頃に見れなかったポケモンをずーっと見てました。
やっと2歳に大手をかけたと思ったら、今度は0歳が現れた(笑)。
果たしていつまで続くのやら。
2歳の次が0歳
0歳の次が胎児
胎児の次は前世
・・・って、ずっと続いていくんじゃないの??
と思うと、ちょっと笑えてくる最近です(笑)。
前世まで遡れば、逆に力が湧いてきそうだ。
力を発揮する未来へ
21歳から今まで、カウンセリングやセッションを受けて、何度も何度も
「もうやだ」
「やめる」
「これ以上どうしろっての?」
と思ってきました(笑)。
だって怖いし、辛いから。
生きづらいけど、生き慣れた場所にいた方が楽だから。
でも引き返したくても、もう引き返せないのです。
今は細々とやりたいことをやっているけれど、いつかブレーキが全部取り払われて、アクセル全開で高速をぶっ飛ばしたいと思う。
そして誰かを元気にして
人と国の役に立って
そんな風に使命を果たしていく未来がきたらいいなと、今は思います。