外山周です。
最近取り寄せる人が増えてきたと言われる、祖父世代の軍人の「軍歴証明書」。
興味はあるし取り寄せたいとも思うけど、でもそこまでやるのも面倒だなぁーと踏み切れずにいたりしませんか??
確かに戸籍の準備とか、色々面倒ですよね!一緒に住んでいなかったり、本籍地が別だと余計に大変です。
ただこの「軍歴証明書」という書類、実物が手元に届くと初めて分かることもたくさんあります。
もしあなたがおじいちゃんが好きだったならもちろんのこと、歴史に少しでも興味があるならば、ぜひ取り寄せておくことをお勧めします。
私が実際に祖父の軍歴証明書を見て知ったことを書くので、ぜひ読んで取り寄せの検討材料にしてみてください。
実物を見て分かること
初めて知った「祖父」像
私は祖父からよく戦争の話を聞いて育った方だと思いますが、それでもやっぱり公式書類の中に、私が聞いたことのない情報が溢れていました。
卒業した軍学校
祖父がどういう経緯で軍に入ったのかが正確に分かり、卒業した軍学校の名前を初めて知りました。そのうちの1つである「陸軍戸山学校」を訪ねることができ、それによってさらに知識が増えました。
🔽その時の記事はこちら
祖父の入院歴
さらに、祖父に入院歴が複数回あったことが分かりました。
終戦直前の昭和19年、怪我ではなく「急性ーー炎」や「胸部疾患」などの病名で、複数回入院歴があることが記録に残っています。
私が覚えている祖父は、それはそれは健康で元気な人でした。
本当に体調を崩してしまったのか、それとも心にトラウマを抱えたのか…と、ふと考え込んでしまいました。
教科書に書いていない歴史
軍歴証明を見ることの意義は、この「教科書にない歴史」なのだと断言できるくらい、様々な情報を拾うことができます。
「XXX事変に関する任務」
一生懸命潰れた字を解読していくと、私でも本で読んだことのある情報がちらほら出てきました。
「原隊を留守隊に在りてXXX事変に関する任務に従事」
「営外居住を命ず」
「本部付けに免ず」
XXX事変は教科書にも載っているわけですが、私たちはその実態がどんなものだったのか一切習わず大人になりました。
しかし軍歴証明書には、その実態が息づいています。
大陸で家族も伴わない中、営外居住を命じられたってどういうことなんだろう?
本部付けになって何したんだろう?
と、当時を偲べる要素がいくらでも隠れています。
終戦後の記録
敗戦の年、昭和20年の記録も残っていました。
・8/25 復員令、原隊復帰
・9/2 停戦協定、XXX付近の警備に当たる
・11/21 内地帰還
この3行の間に、ものすごい情報が詰まっています。
教科書では「8/15終戦」と習うけれど、停戦協定が結ばれたのは9/2で、その後も原隊で警備にあたっているのです。
終戦後の大陸で、無条件降伏をしたはずの国の軍人が、軍の方針として警備に当たっていたのです。
武装解除して投降するなり、任務を放棄してすぐ逃げようとしても良かったはずなのに、それをしなかったということなんです。
当時の様子を知るということ
私の祖父をはじめ、当時を知る多くの軍人さんたちが、あまりにも語ることなく口を噤んだまま世をさってしまいました。
戦後73年が経った今、私たちが当時を知る手段はほとんどありません。
教科書には「日本が悪いことをした」と書かれているだけ、テレビの特番も「戦争は悲惨だった」という証言だらけです。
そういった観点から戦争を語り継ぐことは、それももちろん戦争を繰り返さないために大切だと言えるでしょう。
でもそれ以外の何かがあったのではないかと思うならば、当時の記録を手に入れることこそ何よりの近道になります。
軍歴証明書は、孫世代までしか入手することができません。
もしあなたがこの73年の歴史を大切に思うならば、もしくは単純におじいさんの記録を手にしてみたいと思うなら、面倒な手続きを踏んででも申請する価値があるものです。
軍歴証明書の取り寄せ、ぜひ検討してみてください。