外山周です。
昨年のセラピスト養成講座でご一緒した方のご厚意で、デビュー間近の先輩セラピストさんにセッションをしてもらってきました。
もう、一言で表すなら「嗚咽!」でした(苦笑)。
実はここのところ、私はずっと自分を責めていました。
これだけ長いこと心の学びをやってきて、昨年は7ヶ月間の養成講座でガチンコで自分と向き合い、それでもなお自分の現実を変えることが出来ていない。
一緒に学んだ仲間がどんどん仕事にイベントにと活躍の場を広げて行くのに、私は全く動けていない。
それが、もんのすごーく自己嫌悪の種でした。
「私ってどーしようもないな」とか思ったりして f(^_^;
でも今回のセッションでかなり深いところを突いてもらい、自己嫌悪が少し和らいだ気がするので、記録を兼ねて書いておきたいと思います!
セッションの流れ
まずセッションしたい内容ですが、私は最近困っていることがあったので、それを探求することにしました。
という話からスタートしました。
いやほんと、「助けて」とか「寂しい」とか言えないんですよね・・・。
記憶の呼び起こし
質問に答えながらいつからそうなったのか記憶を探ると、やはり2〜3才の自分が出てきました。
私が2〜3才の頃は、両親は仕事が多忙でほとんど会えず、祖父母(というか主に祖母)が私の面倒を見てくれていました。
この祖母が、私が何かわがままを言うとすぐ「もうお母さんのとこに行きな!もうお家帰りな!」と言う人だったのです。
そんなこと言われてもお母さんは仕事で不在だし、お家はここです。
だから、そうなると2〜3才の私はいつも1人で廊下で泣いてました。
他にも、
「強情っぱりでかわいくない」
「両親がいないから私(祖母)が苦労する」
「遊んでやった」
「ごはんを作ってやった」
などと言われていて、私は随分早い段階から祖母の機嫌を取ることを覚えました。
ただ祖母はある意味では裏表のない単純な人で、自分を慕う者を決して無碍にはしない人だったので、コツさえ掴めば機嫌を取るのは簡単でした(笑)。
祖母とのエンプティーチェア
ここからエンプティーチェアです。
当時の居間の様子を思い出して、祖母の席、私の席、(と一応祖父の席)を配置しました。
そして祖母の席から、上に書いた祖母のセリフを私に向かって言ってもらいました。
結果は「強情っぱり!」が刺さって号泣、です。
私、本当は強情っぱりじゃないのに・・・
という気持ちが湧いてきて、苦しくて仕方がない。
でもセラピストさんの提案で「私強情っぱりじゃないもん!」って言おうとすると、これが言えない。
もう本当に言えないんですよorz
身体が硬直して、喉のあたりで息が詰まったような感じがして、口がパクパクして、嗚咽だけが虚しく出てくる。
そんな感じでした。
それが落ち着いてから祖母の席に座って私の椅子を見ると、「かわいくない訳じゃないけど、今は視界から消えて欲しい」という感覚でした。
そして自分の席に戻ると、今度は「おばあちゃん私が視界に入ってごめんなさい」と思いました。
感情の解放
ここで「感情の解放」というフェーズがあることが非常に重要らしく、セラピストさんの誘導で、祖母に思いをぶつけるというのをやりました。
(して欲しくなかったこと→して欲しかったこと→文句、という順番がいいらしい。)
「恩着せがましくして欲しくなかった!」
「いつも威張ってて嫌だった!」
「強情っぱりって言われるの嫌だった!」
「お母さんの悪口聞くの嫌だった!」
「ごはん作ってやったって言われるの嫌だった!」
「私がこうなったのはアンタのせいだ!」
などなど言ったと思います。
自分で言おうとすると出てこないので、これは全部セラピストさんの後に続いて言いました。
リピートアフタミー!です。
言っているうちにだんだん怒りが湧いてくればより良いと思うんですが、私は今回はそこまではいかず・・・
ただ「ごはんを作ってやった」と言われたことが、一番嫌な思いとして恨んでいるんだと腑に落ちました。
ビリーフリセット
ここまででティッシュが山になる程泣いてましたが(笑)、ここから先はバイロン・ケイティの流れを汲む「ビリーフリセット」に入っていきます。
今までのセッションの流れから主文を設定し、メリットとデメリットを挙げていきます。主文は、
「ありのままの私は愛されない。」
にしました。
で、ここでまたもう一山。
今までビリーフリセットで一度も感じたことのない気持ちが湧いてきてしまったのです・・・。
それは、強烈な「生きていたくない」という気持ちでした。
「ありのままの自分は愛されない」と思って頑張ったことで、小さい頃の私は祖母にごはんをもらい、生き延びることができた。
→それなら生きなくてもよかった。
このビリーフがないとしたら、身体はどんな感じですか?
→もう生きていたくない。死んだ方がマシ。
もう全部がこんな感じで、いつもと感覚が全然違いました。
それは、このビリーフがそれほど自分を守ってくれていたということの証なのだと、セラピストさんに聞きました。
それほど深い部分での絶望があった、ということなのだと。
そんでここでまた一泣き(笑)。
いつもならセッション終盤は笑いが出ちゃうような状態になっていることが多いのに、今日は最初から最後まで泣きっぱなしでした。
「根深い」という言葉に救われた
今回のセッションのまとめで言われたのは、
「すごーく絶望したってこと」
「だから基本的に人を信じれてないんだよ」
「それだけ根深いってことなの」
ということでした。
いつもだったら「これ以上どうしろっての」と思いかねないこのコメントが、今回はすっごく優しく響いてきてね・・・。
「そっか、根深いのか」って、ストンと思いました。
まだ全然現実を動かせてないし、「人と繋がりたい!」って言いながら全然繋がれてないけど、それでも頑張って生きてきた。
まぁいっか、生きてるだけでいっか。
って、ちょっとだけ思うことができました。
何て言葉にしたら良いのか分からないけれど、でも「根深い」という言葉を借りるなら、きっと私が本当にやりたいことは、まだまだ深い場所に眠っているんだと思います。
これからはありのままで人と繋がって生きたいなって思うから、これからも誠実に、ちゃんと自分とも向き合っていくよ。
もー言おうとすると頭がフリーズするレベルで、相手が「〜しようか?」って言ってくれても、思考が止まって何も言えなくなってしまうんです。
ほんと困ってます。これからは言えるようになりたいんですけど・・・。