外山周です!
受講したLPLセラピスト養成講座で課題図書になった、「天命の暗号」という本があります。
この本には、この世に肉体を持って生まれた以上、必ず「天命」を持って生まれてきているという考え方について書かれています。
ではその「天命」とは何か?
自分は何のために生まれてきたのか?
この問いを考える時、本の中に書いてある質問に答えることで少しずつ輪郭が見えてきます。
その時なりの答えを見つけると「生きる指針」を手に入れたような感じになり、それまでとはまた違う生き方をするようになるでしょう。
今日は私が講座中に書いたレポートを、思い切ってほぼそのまま、体裁だけちょっと整えて公開します!
(公開することで忘れないようにしようという意図です・苦笑)
私の天命は、百年後の未来に日本と日本語を残すこと。
このフレーズにピンとくる方に、ぜひお読みいただけると嬉しいです!
はじめに
「天命」という単語には力を感じる。天の命と書いて「天命」。この言葉を強く意識したことはなかったが、私はいつも「自分の命は空から与えられたものであり、私は守られているのだ」と思って過ごしてきたような気がする。
子供の頃に仏間で祖父と神棚に柏手を打ち、仏壇の前で祖母とご先祖様のお話していたことも関係しているかもしれない。
明確に意識するようになったのは、うつ病になって自殺願望を持つようになってからだ。「自分の才能と力はお空からお借りしたものだ」とも思うようになった。「お空からお借りした力だから、大切に使い世にお返しする」と思っている。そして最後には今世の学びを終えたら、私自身がお空に帰るのだと。
そう思って過ごしてはいても、私が考えるのはここまでだった。自分が空に帰った後のことは、一度も考えたことがない。生きることは苦しいことであり、その苦しさに耐えて力を世にお返しすれば安らかな死が与えられ、そこで終わりだと思いたかった。天命の暗号を読み終わって、それは違うと思った。私の死後も世は続く。私が後の世を考えて生き抜けば、私は空の一部となって世に残るのだろう。
日本に古来からある概念は力強い。ご先祖様の血の守りがあり、自然に宿る神様の地の守りがある。その概念が息づくこの国で、多くの先人が天命を志し、その氣を現代に繋いでくれた。
この本にはそんな日本精神が散りばめられていて、文中に使われている日本語もとても美しく、この国のすごさが伝わってくる。この本に出会えて本当に良かった。初めて紙の本に直接マーカーを入れて書き込みをした、私にとっては特別な一冊だ。徹底して精読しながら自分と向き合い、ノートに質問の答えを書き下した。
そして浮かび上がってきたのは、「癒す」と「伝える」という私の天命動詞だった。
この本を通じて私がどのようにこの動詞にたどり着いたのか、誰を癒したいのか、何を伝えたいのか、その結果どのような世にしたいのかを含めてまとめ、レポートとしたいと思う。
嘆きの中から見えてきたもの
天命の暗号によれば、天命とは「天が人を一番叩く」ものであるという。
天に与えられたハードルが高ければ高いほど、人は自分の実力のなさを嘆き、困難に直面して苦悩することになる。その「天から与えられたハードル」は、いつも心の奥底から自分を突き動かしてくる。そして私たちは、育ちの中で身につけたビリーフによって力を発揮できず尻込みし、時には「もうこれ以上できない」と言って嘆く。天命とは、その嘆きの中に封印されているそうだ。
私も本の例に従って、今まで嘆きながらも突き動かされるようにして続けてきたことを挙げてみた。
・人の話を聞くこと
・誰かを元気付けようとすること
・言語外の情報を拾うこと
・言葉では伝えきれない、どうせ伝わらない思い続けること
・自分の心に向き合い続けること
・英語を使うこと、教えること
一見しただけでは共通点を見出すことは出来なかったが、何度も目を凝らすうちに分かってきた。
私はおそらく子供の頃から、誰かを癒したい、元気にしたいと思っていたのではないか。そのために私自身の言葉を使って、何かを伝えたいと思っていたのではないか。「私は癒せないし伝えられない」というのが、私の今までの人生を通しての嘆きだったと気付いた。
子供の頃は原家族の両親と祖父母に対して、塾講師だった頃は生徒と保護者に対して、転職してからは生きるエネルギーが著しく下がっていたビジネスマンのクライアントや部下達に対して、ずっと一貫したこの嘆きを持っていた。
そう考えると、私がうつ病で自殺未遂をするほどに追い詰められた経験は、天命を志すために必要だったのだと思える。
誰かに何かを伝える時には、伝える側のあり方や、言葉に力が宿っているかどうかが大切だ。誰かが元気になる言葉を伝えられるようになるために、そして誰かを癒せるようになるために、私はまず十年かけて自分自身を癒す必要があったのだ。
この十年間、何度も「もうやめる!」と言いながら自己探求をやめられず続けてきたのは、この天命のためだったのかもしれない。
誰を癒し、何を伝えたいのか
天命の暗号を読み進め、次に「離見の見」を持って自分の人生を観察することを試みた。他人の眼でも自分の眼でもなく、「天の眼」を以って自分と天命を観察するようにと書いてあった。そうすることで、見つけた天命動詞が誰に対するものなのか、どうやって達成するのかが見えてくる。天命動詞の対象と手段が見えてくるということだ。
今回も本の例を意識して、誰にどうやって天命動詞を使いたいのかを書き出すことから始めた。
・カウンセリングを通じて、心身が硬くなっている人を癒やす
・楽しい英語のセッションをして、生きるエネルギーが落ちている人を元気にする(癒やす)
・文章を書くことで、苦しんでいる人に「そのままでいいよ」と伝える
・自分の天命を志している人にコンサルを提供することで、英語というツールを伝える
・手段はまだ思いつかないが、日本語の力強さと、先人のすごさを多くの日本人に伝える
こうして並べてみると一見どれもバラバラで、何も共通点がないように思える。しかし「サムライ時間」についての記述を読んで、私が本当は何をしたいのかが見えてきた。
「サムライ時間」から分かったこと
日本には、古くから「サムライ時間」がある。
戦国時代から、日本人はいつ命が終わるとも知れない時を生きていた。常に死が身近にあったのだ。同時に自分の命が終わっても続く世を思い、自分の生きた証が後の世に残ることを信じ、無限の時を意識して生きていたという。
この自分が死んだ後も続く時間のことを、著者は「サムライ時間」と呼んでいる。私には太平洋戦争末期の特攻隊員の遺書が思い浮かんだ。ほんの七十年前まで、日本には「サムライ時間」が生きていた。
私にも「サムライ時間」があるとして、私は自分の死後に何を残したいのだろうと考えてみると、「百年後の日本に日本語と日本人の思いを残す」という強い思いが湧いてきた。
百年後も日本が日本であって欲しいと思う。
この二千七百年の歴史とともに、日本語を母国語と呼べる国のまま残って欲しい。儚さと強さを併せ持つ日本語という言語と、それを扱える民が残って欲しい。脈々と受け継がれてきた日本人の思いが残って欲しい。かつて「大御宝」と呼ばれていた民が百年後も笑い合い、しなやかに生きて、それを世界に発信する。そんな未来がきて欲しい。
私たちの先祖は強かった。幕末の西郷隆盛も吉田松陰も、第二次世界大戦の無名の先人達も、この「サムライ時間」があったために立ち上がったのではないか。他国に蹂躙されることよりも、戦って日本が日本として残る未来に賭けたのではないだろうか。
その強さ故に日本は世界から恐れられ、戦争を仕掛けられ叩きのめされてしまった。子孫である私たちはこの強さを取り戻し、今度は堂々と自信をもって世界に発信すれば良いわけだ。百年後の未来にこうした日本の強さが残り、多くの日本人がそれを自覚して発信するようになれば、百年後の世界平和への貢献にもなるかもしれない。
だからこそ、私は伝えたいのだと思う。国を守るために戦って散華した無名の軍人の思いを伝え、残したい。
無限の時を意識するという「サムライ時間」は、何も未来のことだけではないはずだ。先祖との繋がりを意識する時、人は生きる力が湧いてくるものだ。先祖との繋がりがあるからこそ、子孫にも残したいと願うことが出来るのだ。
私は、日本を守ろうとした先人の思いを伝えたい。現代を生きる私たちに、そして未来を生きる子孫に伝えたいと思う。それこそが時空を超えて「癒やす」ことだ。思いを言えずに散った先人を癒し、生きる力が薄れてしまった現代の孫世代を癒し、未来の子孫に力を与えることなのだ。
現代を生きる者同士の無限の繋がり
「サムライ時間」は時間を超えた無限の繋がりを意識するものであるが、生きている時間においても、日本人はやはり無限の繋がりを意識して生きる民族だったのではないだろうか。「情けは人の為ならず」という諺にも残っている通り、人のためにしたことが巡るという考え方がある。
昔の人は「いつか恩返しをします」とお礼を言われると、「家族が困ることがあれば手を貸してやって欲しい」とよく答えたと聞く。実際私の家でも、祖父母の世代まではそういったエピソードがたくさん残っていたそうだ。現代でも昔ほど頻繁でなくともそういう話はあるだろう。
国際的に見ても「昔日本人に良くしてもらったから助けてあげたい」と他の国が災害支援をしてくれることもある。私もアメリカに住んでいた時、日本人だからと言う理由だけで良くしてもらったことが何度もある。それは先祖の代から今に至るまで、海外に出た日本人が良い印象を残したからであり、また日本にきた外国人に嫌な思いをさせなかったためだ。
私は確かに、他の日本人の恩恵を受けたのだ。昔の人はこの「無限の横の繋がり」があることを、確かに知っていたのだろうと思う。
今年の夏にアメリカに行った時、私はタクシーでぼったくられてしまった。私が言い返さずに言い値を支払ってしまったことで、後から渡米する日本人がまた狙われるかもしれないと思うと後悔の念が湧いた。それをFacebookに投稿すると、多くの人から「気にしすぎだ」とのコメントをもらった。人の責任まで背負い込んでいる、境界線が引けてないというわけだ。
確かに心理学的に見ればそうかもしれないが、私はそうではない一面が確かにあると思う。日本人は確かに、同じ家、同じ国に生まれた同胞を「自分」の中に含んで生きていた筈だ。その無限の繋がりを自分の中に含むからこそ、日本人は強かった。私たちはいつからそれをやめてしまったのだろうか。
本来繋がりというものは、生きる力と強さを与えてくれるものだ。現代を生きる私たちは、その殆どを失ってしまったのではないか。先祖との繋がり、国との繋がり、同じ時を生きている家族、仲間や友人との繋がり。全ての繋がりが希薄になってしまった。これでは、日本人が本来の力を発揮できないのも無理ないことだ。
私の天命と今やるべきこと
私は百年後の未来に日本と日本語を残し、日本の真の強さを世界に発信出来る未来を作りたい。
この思いは、おそらく変わることはないだろう。この強い思いを踏まえて改めて「癒す」「伝える」という天命動詞を見た時に、今この瞬間私が何をすれば良いのかが、ほんの少しだけ見えてくる。私は今持っている自分の得意分野を使って、この百年後の未来に向かって歩き始めれば良いということだ。
今私に出来ることは、手に届く範囲の人を癒すことだ。数年後にはビリーフの解放まで出来るセラピストになって、セラピーを手段にしたい。それまでの間、私に出来ることは何だろうか。
英語を使って出来ること
私は九年もの間、嫌だ嫌だと言いながら人に英語を教えてきた。正直「英語はもういらない、手放したい」とずっと思っているのだが、そう言いながらもずっと続けているということは、何か天命に関わるものなのだろう。
今までの私の教え方は、いわば男性性優位の教え方だった。まずは権威としての自分を見せつけることから始まり、相手に「すごい」と思わせ、論理で固めたコーチングで相手を支配して言質を取る。そのやり方はもうやめる。
今日からは意識を変えて、まず女性性優位の教え方にするのはどうだろう。英語を勉強している本人に内なる力があると信じ、相手の生きる力を信じて引き出すイメージだ。そして今この瞬間英語を勉強することが相手の未来を明るくすると信じ、それが百年後の未来に繋がると信じる。
やや抽象的ではあるが、英語教授法そのものを変えるというよりは、まずは意識を変えることにする。英語教授法は多くの人が持っているが、相手の生きる力を信じるという意識そのものが、私を唯一無二にしているからだ。これが自分に完全に馴染むように、瞑想を習慣にする必要もありそうだ。
加えて今下書きを作っている英文法プリントを完成させること、ライトなお悩み相談を引き受けることなども出来そうだ。
言語を使って伝えたいこと
英語とはまた別に、今書いているアスペルガーの彼氏とのエピソードが多くの人に届くようにしたいと思う。
私は彼氏とのやり取りを公開し始めたことで、多くの女性が我慢を重ね、辛い思いを誤魔化しながら生きているのだということに気付いた。男性に頼ることを諦め、お願いしたら駄目だと思い込み、自分が我慢すればいいと思い頑張っている。私もつい最近までそうだった。女性性を封印し、女を武器にすることなく男と対等になれるように、小さい頃から男を目指して生きてきた。
私と同じく頑張り過ぎている女性たちに、違う視点を届ける本に仕上げたい。ただ読んで「面白かった」では終わらせたくない。たくさんの女性がちょっとだけ心にスペースを空けられるような本にしたいと思うようになった。
女性だけではなく、軍人気質の男性にも和らいで欲しいという願いもある。私の祖父も、背中の筋肉に全ての感情と傷を封印したような人だった。平和で何でも言える時代になったのに、やはり祖父と同じように背中をガチガチにして、思考に偏っている人がたくさんいる。そんな男性の顔が緩むような何かを伝えていきたい。
結局のところ、私は女性に対しても男性に対しても、「固まっている人を柔らかくするような何かを伝えたい」と思っている。性別に関わらず、「女性性を封印して生き抜いてきた人たちを癒したい」という思いがあるらしい。
そんなに頑張らなくていい、「欲しい」と思っていいし、言葉にしてもいい、無条件で受け取っていい、あなたは悪くない。そんなことを伝えたい。この思いが真に魂のこもったものとして伝わるために、まずは私自身の経験を堂々と発信していく必要もあるかもしれない。
天命を志すということ
ここまで天命が明らかになったら、今度は「天命を志す」と決めなくてはならない。
天命を自覚し、それを人生をかけてやり抜くと決め、天命を「志」に高めるのだ。そう決めて動いていればそのうち仲間に出会い、その仲間の天命と自分の天命が繋がっていく。仲間との絆が生まれるからこそ、一人では出来ないことも可能になっていく。そして未来に繋いでいくことができる。この時間と空間を超えた繋がりを、著者は「氣脈」と呼んでいる。天命を志すと決めれば、次第に氣脈が出来ていく。
今年の夏に中退した大学を再訪した時、私は今まで人との繋がりを絶って生きてきたことを後悔した。人と繋がることを自分に許可していなかった。伝えたいことがあっても、口を噤んでばかりいた。そうすることで守ってきたものもあるが、失ったものもあまりに大きかったことに気づいてしまった。
そして「自分らしく生き、人と繋がって生きたい」と強く思った。あの時痛烈に湧き上がった想いのおかげで、今は「自分らしく生き、人と繋がり、人の天命と自分の天命が繋がり、サムライ時間を生きたい」と思えている。
私は今、自分の言語力と文章力を自己調律の手段として使うに留まらず、明確に「癒すために伝える」という意識を持って使う段階に入りつつあると思う。それを一生続けていくのだと決めることが、「天命を志す」ということなのだろう。
頭では分かっていても、そうと決めるのは大変なことだ。天命との関わり方は、「逃げる、嘆く、畏れる、志す」という順番で変化していくという。私は畏れの段階にいるようだ。私には出来ないかもしれないという思いが、絶えず湧いてきてしまう。
誰かに何かを伝えることは、本来とても孤独なことだ。どんなに相手を思い言葉を尽くしたとしても、どうしても伝わらないこともある。伝わらなければ、私自身が傷つく。私は今までの人生でそれを何度も経験し、いつしか口を閉ざすことを覚えてしまった。
しかし一方で、例え使用する言語が違くても、一見伝わらなかったように思えても、実は言語を超えて想いは伝わっているという経験も何度もしている。言語の持つ力もよく知っているが、同時に言語の儚さと、言語に乗り切らない万感の思いがあること、その想いはきちんと届くのだということを知っている。
だからこそ、これからは伝え続けることを選ばなくてはならないと思う。例え伝わらなくても、時には批判や攻撃を受けることがあったとしても、私は私の言葉を使い、発信し続けなくてはいけないと思う。これを腹に決めることが、「天命を志す」ということなのだろう。
最後に
実のところ、私はとても疲れている。もう今度こそ自己探求はお休みし、来年のLPL再受講も延期して、自分一人が食べていける分のお金をのんびり稼いで、何もせずにゲームをして過ごしたいと思っている。本当にそう思っているのだが、それは多分実現しないのだろうということも心のどこかが知っている。行動も耐えず逆方向へ突き動かされている。人の思考とは、なんとちっぽけなものだろうか。
人は自覚するしないに関わらず、人生を通して天命を実行し続けているという。なぜそんなに大切な天命を、こんなにも分かりづらく封印しなくてはならなかったのだろうかと考えた。
私自身の今までの人生と、見つけた「癒す」と「伝える」という天命動詞を照らし合わせて考えてみると、当たり前にあるものでは力が発揮できないためではないかと思った。一度強く封印されることに意味がある。封印を自分の力で解くからこそ、最大限に力を使い、それに感謝をすることができるのだろう。
天命とは心の掃除をしなければ見えてこないものであり、怠るとすぐに見えなくなってしまうものなのだそうだ。常に自分の心と向き合い続けることは、良いセッションを出来るようになるために大切だと実感もしている。私は天命を志すにあたり、生涯を通じて自己探求を続けるのだと決めた。
「癒せない、伝えられない」という嘆きも、きっと生涯持ち続けることになるのだろう。おそらくもう一生、自己探求をやめることはない。それが私の天命に直結していることだからだ。何度も「辛いからもうやめる」と言いながら続けてきたこの作業も、この十年で少しは上達していることだろう。
私の天命は、百年後の未来に日本と日本語と思いを残すこと。私が望む成功は、しっかりと覚悟を決めて天命を志し、氣脈の中で生きること。
そのためにも、私には伝えるべきことがある。男を目指して生きてきた女性として、軍人の祖父を持つ孫として、日本語の力に魅せられた一日本人として。未来の日本のために伝えなければならない。そして時間を超えて、多くの日本人を癒すのだ。それを思う時、たまらなく魂が震える。
人生で起きることは、すべてお空と魂の采配だ。ずっと思っていた「お空から借りた力を世にお返しする」生き方が、今こそ本当の意味を持って近づいてきている。もうお空と魂に降伏し、天命を志すと決める。