外山周です。
昨年、アメリカのロサンゼルスにある「全米日系人博物館」に行ってきました!
アメリカ人の中には、日本系の祖先を持つ「日系アメリカ人(Japanese American)」がいます。
実はこの「日系アメリカ人」は、第二次世界大戦中に強制収用された歴史的背景を持っています。
人種が多様だからこそ、それぞれの「ルーツ」や「歴史」を大切にしているのがアメリカという国です。
日本にいると意識することはありませんが、日本人と同じルーツを持つ「日系アメリカ人」の歴史を知っておくと、海外に出た時にアイデンティティーを意識しやすくなりますよ!
今日は、「日系アメリカ人三世」のホストママとの会話も交えながら、私が「全米日系人博物館」に行った時の話を書きたいと思います!
「日系アメリカ人」とは?
まず「日系アメリカ人(Japanese American)」って何なの?という点を確認しておきましょう!
🔽基本情報はこんな感じです_φ(・_・
・日本人の祖先を持ち、今はアメリカの市民権を持っている人
・数にして122万人、人口のおよそ0.4%
・多くは1900年代初頭にアメリカに渡った日本人の子孫
・現在メインの世代は3世〜4世
強制収用の歴史!
1900年代初頭にアメリカに渡った日本人を、「移民一世」とします。
一世には市民権がないので、「アメリカ人」ではありません。
アメリカで子供を持ち、その子供たち(二世)が生まれながらにアメリカの市民権を持つことで、二世以降が正式に「アメリカ人」となったのです。
一世は国籍がなく、法律によって土地の所有や借地が制限される中、農工業に従事して経済に少なくない貢献をしました。
しかし戦争の激化によって「帰化不能外国人」として迫害され、ついにはアメリカ生まれで市民権を持つはずの二世さえも、全員一緒に強制収用所に送られることになりました。
財産は全て没収されたも同然。
「保護」という名目で送られた先は砂漠の真ん中の粗末なキャンプで、周りは有刺鉄線で囲まれ、銃を持ったアメリカ人兵士が常に見張っていたのだそうです。
博物館で、実際に復元された収容所をみました(写真がピンボケしていますがorz)。
模型ですら粗末なのが分かります。
この狭い一室に一家族(4〜6人)が押し込められたというのだから、どれだけ劣悪な環境だったかが分かるでしょう。
一緒に行ってくれたホストママ(日系アメリカ人三世)は、こんな風に言ってました。
となると、本物の小屋を復元することは、歴史を消さないための悲願だったのかもしれません。
二世のアイデンティティー
二世のアイデンティティーは、
・アメリカに忠誠を持つ者
・日本に焦がれる者
・2国の間で揺れる者
と様々だったそうですが、「全米日系人博物館」では、アメリカ寄りの展示が多かったように感じました。
砂漠の真ん中の強制収用のキャンプで、文化と言葉を奪い、親世代と子供世代を分けて「教育」を施すことで、日系人の「アメリカ人化」を進めた。
二世達はアメリカを母国と呼び、アメリカに忠誠を持ってアメリカ人として従軍し、親の祖国である日本と戦わなくてはならなかった。
というような記述を読みました。
特に日系人と白人のアメリカ兵がペアになって戦場にいる写真(単独だと攻撃されるから白人とペアになる)や、その他の写真の展示が圧巻でした。
実際に日系人だけで編成されたアメリカ軍の「第442連隊戦闘団」は、前線に送られるもアメリカのために大活躍し、大きな武勲をあげたそうです。
その他博物館の見所
大量の新旧の写真、そして実際の資料。
そして、1980年代に法廷で二世たちが家族への思いを語った映像がすごいです。
「僕は父親と1943に別れたきり、一度も会っていない。生きているかどうかも分からない。」
全て英語で字幕がありませんが、感情がガシガシ伝わってきます。
その他、現在では案内用iPadの貸し出しがあります。
その後の歴史
1988年、アメリカ政府は国として公式に強制収用があったことを認め、日系アメリカ人に賠償金を支払いました。
しかしそこに至るまでの歴史は、決して平坦ではなかったそうです。
博物館周辺のリトルトーキョーは、今でも「ちょっと古い日本の街並み」といった風情があって、多くの日本語が飛び交い、日本語の看板が目につきます。
日本の文房具屋や本、流行りのグッズ、日本食も買うことが出来ます。
せっかくなので、限定キティーちゃんと「American Yellow」という本を自分用に買ってみました。
三世~五世がメインの世代となった今でも、多くの日系人が時たまにLAに戻って来て、同じ日系人たちと会うのだそうです。
彼らはアメリカの市民権を持ち、日本語を話せず文化も知らなくても、それでも自分たちを「Japanese」と言います。
ルーツが日本にあるという意味での、「Japanese」という単語です。
世代が進んだ今でも日本の名字を名乗り、多くの人が日本風のミドルネームを持っています。
それを聞くたびに、私は思うのです。
「もし迫害がなくて、一世にアメリカ人として市民権を与えて名字を変えることを許可していたら、世代を超えてなお続くルーツへの愛着を植え付けることが出来たのだろうか?」
と。
もし迫害がなければ、「日系人」という存在そのものが今ほど際立っていないのではないか?とつい考えてしまうんですよね。歴史に「もし」は禁物ですが。
私にとっては、自分が「Japanese Japanese」だと意識する最高の機会になりました!
ロスに行く機会があれば、ぜひ「全米日系人博物館」に行ってみてくださいね!特に歴史好きの方には超おすすめです!
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