外山周です!
昨日、今年も無事に誕生日を迎えました。
私は、実はずっと「自分の誕生日」が嫌いでした。
子供の頃から親に「おかげさまでxx歳になれました」とお礼を言わされる日だったし、特別なお祝いをしてもらった記憶がないのです。
大人になって友達や恋人に祝ってもらうようになっても、どうも心の底から「嬉しい」と思うことが出来なかったような気がします。
でも今年、誕生日は苦手な1日ではなくなりました。
今年は「自分デート」と称して、お気に入りの神社とスタバで1日を過ごし、その後帰ってきて彼とご飯を食べました。
詳細はこちらのnoteに書いてます!
で、ご機嫌で1日を過ごして寝ようとしていた時、日付が変わる直前に、なんと 父 から電話がかかってきました。
「背中で語る」を地で行く、素直じゃない父。
言葉では「誕生日おめでとう」も言ってくれませんが(笑)、私にとって本当に良い会話ができました。
ずっと圧倒的だったお父さんの背中。
やっと追いかけるのを止めることができそうです。
今日はそんな話について書いてみようと思います。
「なんで電話くれないの?」
実は去年、私は誕生日の翌日に父に電話をかけて、
「お父さん、なんで昨日電話くれなかったの?」
とド直球で質問をぶつけました。
父は悪気なく私の誕生日を忘れていて、最初は「えっ?昨日なんかあったっけ?」などと言っていました(ノД`)
というか毎年電話をくれない方が普通なので、いきなりこの歳になった娘から怒られて、父もさぞびっくりしただろうと思います(笑)。
もう何と言ったか忘れてしまいましたが、去年の私は何だか妙なテンションで、父にとにかく色々言わせたような気がします。
「お父さん、私が生まれて嬉しかったんだよね?」
とか。
最終的には父が「忘れてごめんなー」と言ってくれ、私は気が済んで電話を切りました。
「お父さんが頑張ったの知ってるよ」
去年そんなことがあったからか、今年は誕生日が終わる直前に、父が電話をかけてきてくれました。
父「今日誕生日だろう」
私「うんそうだよ」
父「そうか」
私「うん」
・・・そして沈黙(笑)。
父「楽しく過ごしたか?」
私「うん」
・・・そしてまた沈黙(笑)。
父「次いつ帰ってくるんだ」
私「夏かな」
父「そうか。来月でもいいぞ」
私「・・・それは、会いたいから来月帰ってこいよということでしょうか」
父「その通り」
その通りらしいよ(笑)。
・・・そして、話は父の禁煙の話や、父が最近考えていること、母や姉に対して父が思うことに少しずつ流れていきました。
と、まぁ子供のような父の言い分を聴きながら、父と母と姉が3人で話をした場面を思い浮かべました。
たぶん父が論理的に正論を言って、姉と母はしぶしぶそれを認め、父が満足して「じゃ、3人で禁煙な!」と言ったのだろうと(笑)。
でも姉と母は感情優位の人。
正論で煙草をやめられる訳がないんですよね。
ただそれを父に言ったところで、父にはそれを分かってあげる余裕がない。
父はただ分かって欲しいだけ。
自分の論理を分かってくれて、認めて欲しいだけなんですよね。
・・・そう言ったら、父の声が詰まったような気がしました。
人はいくつになっても、「頑張ったね」って認められるのが嬉しいんですよね。
父はきっと、家族の笑顔を見たくて頑張ってくれた。
「分かってるよ」
「ちゃんと見てるよ」
「頑張ったね」
という承認があれば、いくらでも笑顔のために頑張れるのかもしれません。
「圧倒的な父」はいなくなった
・・・本当は、父は母にとって決して「良い旦那さん」ではなかったです。
父からの愛情や関心が欲しくて母が泣くところを、私はいつも見ていました。
それでも父は父なりに、家族のために頑張っていたと思います。
母には、そんな父を分かってあげる余裕がなかった。
そして父にも、母の感情論に寄り添う余裕がなかった。
ただそれだけの話が、ここまで何十年も続いているだけなのだろうと思います。
私にとって、家族を背負って働く父の背中はいつも追いかける対象でした。
私には永遠に追い越せないと思うくらい、父の背中は圧倒的でした。
そんな背中を私に見せ続けることこそが、おそらく父の愛情だったのだと思うのです。
・・・でも今回、その「圧倒的な父」はいなくなりました。
「俺を見てくれ」
「俺を分かってくれ」
「俺を認めてくれ」
そう悲痛なまでに叫ぶ、ただ1人の人間にすぎない父とお話できたことが、何よりの誕生日プレゼントとなりました。
お父さん、今までずっと大きい背中を見せてくれてありがとう。
私はもう背中を追いかけることはないけど(笑)、それでもずっとお父さんが頑張ってたこと知ってるよ。
その背中、ずっと覚えておくからね。