カードリーダー外山周の、
毎週日曜の「ほっこり占い」はこちら!
毎週日曜18時〜20時頃に配信しています(・∀・)
・2022/8/7 「他人を変えることはできない」の真実
・2022/8/14 「変わる」とは「自分で扉を通る」こと
・2022/8/21 他人を変える(かもしれない)究極の方法
・2022/8/28 脳は「自分と他人」の区別がついてない法則
私たちは肉体を持って生きている限り、ついつい他人に対して「もっと〜したらいいじゃん」と言いたくなったり、「もっとーして!」と求めたくなったりしてしまうものです。
それも私たちの肉体の学びなので、ちょっとずつ「他人に求めること=自分が自分にしていきたいこと」なのだと腑に落としていきたいところですね。
自分の世界は、自分で守りましょう。今月はそんなお話です!
2022/8/7 「他人を変えることはできない」の真実
「他人を変えることはできない」とよく言われます。
これはエネルギー的にも確かにその通りで、私たちは別の肉体に別れて地上に存在している限り、他人を直接変えることはできません。
もし「変えたい」と願った相手が変わってくれたなら、それは私たちが「変えた」のではなくて、その相手本人が自分の力で「変わった」ということになるのです。
変わるか変わらないかは相手の自由で、
相手の魂が決めていくことです。
選択権は相手の領域にあるので、「変わりなよ!変わった方がいいよ!」と言った瞬間(もっと正確に言うと言葉に出さなくてもエネルギーに乗せて発した瞬間)に、それは相手の領域を侵犯したことになってしまいます。
・・・なんですが、例えこの法則を頭で理解していたとしても、私たちは限界ギリギリまで「相手を変えたい」「相手に変わってほしい」と望むものですよね。
もちろんそう望むのは人として当たり前のことで、相当意識しないとみんな普通にやってることなので、別にそれ自体は悪いことではないです。
ただ、すっごいエネルギーの無駄遣いであることは間違いないです( ;∀;)
私たちが「相手に変わってほしい」と望む時には、実はとんでもなく大きなエネルギーが動いてるんですね。
「変わって欲しい!」と願う
「変わってくれない!」と嘆く
「こうすれば変わってくれるかも!」と動く
「何か他の方法があるんじゃないか」と悩む
などなど、自分の中でもエネルギーが激しくグルグル渦巻く上に、相手からはほぼ間違いなく「変えようとしてくんな!」という反発のエネルギーを喰らうことになります。
人は「変われ!」という外側からの圧には反発するからです。
ということは、私たちが誰かに「変わって欲しい」と思った瞬間に、既に目に見えないエネルギー合戦が勃発していることになりますね(笑)。
そういう時の真実とは、いったい何なのでしょうか。
・・・私たちは今まで、こういうエネルギー合戦が当たり前の世界を生きてきました。その中でしか学べないことを学んだ時代だったのです。
これからはらエネルギー合戦をやめて、「私はなぜこの人を変えたいと思ったのだろう?」という自分の真実にアプローチしていける時代になります。
気づいた人から、「まず自分に目をむける」という意識を育てましょう。
最初は大変に感じるかもしれませんが、少しずつコツが掴めてくると、エネルギーを全く別のことに使えるようになります✨
今週もお疲れさまでした〜!
また1週間楽しく過ごしましょう!
2022/8/7 「変わる」とは「自分で扉を通る」こと
人の変容は、「扉を通り抜けて別の世界軸へ行く」のと同じです。
自分の意思で「通る!」と決める。
自分の力で扉を開ける。
自分の足で一歩を踏み出す。
扉の向こう側に行ったら、さらに先へ歩き続ける。
そうすると歩いた先にいつの間にかまた次の扉が現れて、最初の「通る!」と決めるところから再び扉を通る準備を始めます。
そうやって何度も何度も扉を通り抜けながら、「気付いたら全然違う自分になってた」というのが私たちの「変わる」なのですね。
・・・こうしてプロセスを紐解いてみると、「人を変えることはできない」の意味もなんとなく掴めてくることでしょう。
私たちにできるのは、「扉を通るって決めた!でも怖い!」と思っている人を励ますことだけなのです。
「ずっと扉のこちら側にいたい」と思っている人や、「自分の力じゃ扉を通れないー誰か一気にビュッと連れてってー」と座り込む人を連れて行ってあげることは、残念ながらできません。
扉を通るか通らないかは、
一人一人の魂が決めることです。
例えば地上的に見て「この人いつも辛そうだな。もっと好きなことやって楽しく過ごせばいいのに」など一見良い変化を望んであげたくなったとしても、それは相手のエネルギーを侵犯することになるのでだめです( ;∀;)
どんなに地上の目線で辛そうに見えても、相手の魂が「辛い世界にいる」「扉のこちら側に留まる」と選んでいるのなら、その人にとっては「辛い世界に留まることが幸せ」です。
相手の選択は相手のものです。
これからの時代には、例えそれがどんなに不幸に見える選択であっても、相手の選択を尊重して見守ることこそが「愛」と呼ばれるようになります。
今までの概念からするとめっちゃ冷たく感じられますが、これは「相手の魂の選択を信頼して応援する」という究極の愛です。
ますます多くの人が、これからその愛の形に挑戦することになるでしょう。
心当たりのある方は、まずは「私はずっと扉を通り抜け続けていく」という意識を育てておくと良いですよ♡
扉を通り抜け続ける自分であることが、いずれ「他の人の選択を見守る」ということを可能にしてくれます。
時々へこたれて座り込みそうになっても、その度に何度も何度も「いや行くぞ!」と思いましょう。
今週もお疲れさまでした〜!
また1週間楽しく過ごしましょう!
2022/8/21 他人を変える(かもしれない)究極の方法
私たちは「幸せ」を求めて、その場所へビョーン!と飛んで行けちゃう自分になるために、何度も葛藤しながらそれでも変容を重ねていきます。
人によって「幸せ」は違います。
ある人にとっては「争いのない世界で穏やかに暮らすこと」が幸せでも、別の人にとっては「命の危険がある戦場で戦うこと」が幸せかもしれません。
どんなに良かれと思って「でも本当は戦いたくないんでしょ?争いのない世界に来ればもっと穏やかに長生きできて幸せだよ」と言っても、それは「戦うことが幸せであるわけがない」というこちら側の決め付けになってしまいます。
だから私たちは、やっぱり人を変えることはできないのですね。
・・・なんですが、実は1つだけ人を変える(かもしれない)方法があります。かなり難易度が高い方法で、試しても相手が変わらない可能性の方が遥かに高いですが、一応方法そのものはあるんです。
ステップはこちら。
- 相手の幸せを心から願う
- 自分がその「幸せ」を体現して生きる
- 相手が既にそうなってるところをイメージしてニヤニヤする
まず前提として、「変わって欲しい」と思う内容が、相手の幸せを心から願うものである必要があります。
どういうことかというと、例えば「こうやって変わってくれれば私も安心できるのに!私のために変わってくれればいいのに!」というような、「私側の欲」が一切ない願いであること、ということです。1%でも入ってたらだめです。
次に自分自身が、その「変わった姿」を体現して生きることです。
例えば相手に「争わず穏やかに生きてほしい」と願うなら、何よりも自分自身が「争わず穏やかに生きていて私は幸せー♡」という状態であり続けることですね。
言葉で「戦うのやめなよ」と迫ったり、「ねぇ私こんなに幸せだよ!あなたもこうやって生きたいでしょ」と圧をかけないようにしましょう。言葉で発してなくても、エネルギーで発するのもだめで、本当に300%自分の幸せを生きることが大切です。
最後の仕上げとして、「相手の幸せを願っている」「その幸せを体現して生きている」を続けながら、相手が既に変わって幸せになっている状態をイメージします。できるだけ具体的に、鮮明に、その姿を思い浮かべてニヤニヤしましょう。
・・・ここまで完璧にできたら、やっと相手が変わる可能性がでてきます。もしそれほど幸せを願う相手がいたら、挑戦してみてくださいね。
・・・とは言えこのステップを完璧に頑張ったら、実は最後に辿り着く頃には「相手の幸せは別の世界にあるんだわ。幸せにね」と言えちゃうレベルになってたりするんですけどね♡ニヤリ
今週もお疲れさまでした〜!
また1週間楽しく過ごしましょう!
2022/8/28 脳は「自分と他人」の区別がついてない法則
人間とは不思議なもので、実は私たちの意識は、「自分と他人」の区別をすることが殆どできていません。
例えば「私はこんなにも不幸だ」と思っている人は、「私が不幸だから他人も不幸に決まってる」と無意識に思っています。だから幸せな人を妬むし、時には「不幸になれ」「人の不幸は蜜の味」「ざまぁ」と感じます。
逆に「私ってすごい幸せー」と思っている人も、やっぱり「私が幸せだから他人も幸せよね」と無意識に思います。
これは一見すると良いことのように感じられますが、不幸な人に対して「えーなんで不幸のままでいるの?」「もっと幸せになればいいじゃなーい」とか言ってしまうと、その言葉には思いも寄らない攻撃力が宿ってしまいますね。
「私は不幸で、他人も不幸だ」
「私は幸せで、他人も幸せ」
どちらの世界に生きるのも自分の自由ですが、私たちは「自分と他人」の区別ができないばかりに、ついつい違う世界を選んでいる相手に挑みたくなっちゃうことがあるようです。
もっと身近な例だと、例えばインドア派の人に「もっと外に出て友達と飲み会とかやればいいのに!楽しいよー!」と悪気なく言っちゃうとか(笑)、そういうすれ違いって日常にいっぱい転がっていますよね。
繰り返しますが、私たちは思ってる以上に「自分と他人」の区別がついてません。
もし「ーーして楽しめばいいのに」と言いたくなったなら、それは相手に対して思っているのではなく、自分自身に対して「私はーーして楽しみたい」と思っているだけなのです。
「私はーーして楽しみたい!以上!」
でおしまいです。
他人の領域に飛び出して「あなたもーーすればいいのに」と思うと、お互いめっちゃ疲れる結果になってしまうので気をつけましょう。
逆に「ーーすればいいのに」と言われてしまう側になった時は、「じゃーあなたがそうすればいーじゃんw」と言って突っ返してしまいましょう(・∀・)
ハッキリ言葉にできない立場や関係でも、「自分と他人の区別がついてない」というカラクリを知っておくと、口で「そうですねー今度やってみますーウフフ」と言いつつ流せるようになるかもしれません。
自分の世界は、自分で守りましょう!
今週もお疲れさまでした〜!
また1週間楽しく過ごしましょう!
2022年8月は、個人的にがっつり「自分史」と向き合った1ヶ月になりました。
私たちはこうして肉体だけ大人になっていても、ずっと子どもの頃の「こんな風に愛されたかった!」という思いを持て余し、場所と相手と方法を変えて、何度も何度も「今度こそ!」とトライし続けているんだなーと実感したりしました。
それを乗り越え、「他人は私を満たしてくれるためにいるのではない」「他人もその人自身の魂の学びを全うするためにこの世に来てるんだな」と思えるようになることこそ、私たちが今世で完遂を目指す学びなのかもしれませんね。
今月もお疲れ様でした♡
カードリーダー外山周の、
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毎週日曜18時〜20時頃に配信しています(・∀・)
外山周(CHIKA, Toyama)