昨日の夜に家に着いて13時間くらい寝ていました(笑)
今日は昼過ぎからようやく復活して、洗濯物を処理したり、料理したりしていましたが、同時に日本の湿気にやられて撃沈しています。
カリフォルニアの山火事
私がLAに着いた日、その前日まで大規模な山火事が原因で、ハイウェイが所々閉鎖されていたと聞きました。
LAからホストファミリーのお家まで3時間のところ、迂回ルートを通ると5~7時間かかるそうです。
幸いにも、到着した日には火事は全て消化された後で、ハイウェイも開通していました。
▼山火事のニュース(英語)
7800エーカーが焼けたとのこと。
1エーカーは、約63メートル四方の土地を表す単位です。
東京ドームは、約11エーカーの広さです。
東京ディズニーランドが、約126エーカー。
そう考えると、この7800エーカーという数字が、どれだけ広いかイメージできると思います。
カリフォルニアは空気がすごく乾燥していて、雨が降らず干ばつに襲われるため、このように大規模な山火事が発生することになります。
雨季と乾季がある、砂漠の気候です。昼は焼けるように暑く、夜はとても寒くて、温度差が非常に激しいです。
燃え広がるのを少しでも防ぐために、必死の消火活動が行われます。
ヘリコプターから消火用の真っ赤な薬品を撒くと、火は消えますが山肌も科学的な赤に染まり、それが乾くとサーモンピンクになります。
茶色でも緑でもない、石の色でもないサーモンピンクの山肌が、カリフォルニアの夏の風物詩なのだそうです。
砂漠の神様と日本の神様
このように過酷な環境で、キリスト教の概念は根づいています。
人間にとって、自然は痛めつけてくる相手であり、克服するべき対象です。
「神」はその自然よりさらに上の存在であり、自然を通して人間に「試練」を与える厳しい「父」であり、甘える対象ではない。
だからこそ経典があり、守るべき教えがあり、それを守っていい子にしていれば助けてくれるものとして、神が存在しているのでしょう。
全てを超越した力を持った一神教の神様が、キリスト教の「神」=「God」です。
それに対して日本の神様は、全く逆の性質を持っていると言えます。
昨日の記事に「民草」の話を少し書きましたが、緑が豊かで四方を海に囲まれた日本では、自然=神様です。
沢山の神様がいる多神教で、ある意味神様は人間に近いものとして語られます。
それでも自然の恩恵を受け、自然に生かされているからこそ、いくら人間に近くても神への尊敬は忘れないし、霊的な存在を信じるようになったのでしょう。
経典もなく、教えもなく、年長者から概念を受け継ぐことで、この宗教観が伝わってきました。
豊かな自然に育まれてきたからこその宗教観であり、自然を「母」とする考え方に、神=厳しいとする価値観は本来なかったはずです。
「神」に英語の「God」を輸入した
こんなにも「神」と「God」の概念が違うのに、日本は戦後の教育で、「神」という言葉に英語の「God」の意味を輸入してしまいました。
いつしか本当の意味を失い、現代の多くの日本人にとって、「神」は「God」と同義になってしまいました。
戦前は「天皇陛下は神」という価値観だったと、さも悪いことのように語られますが、神に一神教の「God」の意味を当てはめてしまうと、それはアメリカ人や他の民族の反感を招いて当然ですし、現代の日本人が理解できないのも当然です。
自然が神様だった日本では、神達は人間とある意味対等で、ただ自然を整えてくださる存在として、変わらずそこにあるだけでした。
だから当時の日本では、天皇を恐るべき対象としての「God」ではなく、ただ国民を「おおみたから」として抱く存在として、太陽のようにただそこにあるだけの存在として「神」と捉えていただけでしょう。
そういう普遍的な事象に対しての、本来の日本語の「神」という意味を取り戻せたなら、自虐史観からも脱出できるのではないかと思います。
相容れないのかもしれない
…と言う話の一部を、アメリカでしました。なんとか一部を英語で伝えられた、という感じですが。
私のホストファミリーはインテリで、世界の様々な価値観に割と寛容なので、「うーん、何となくわかった」と言ってもらえました。
が、書いていて思いましたが、キリスト教の概念が強く根付いたアメリカが、日本のこの多神教の信仰じたいを疎ましく思うのも、何となく分かる気がします。
お互いに受け入れようとする姿勢がない限り、全く相容れない性質なのかもしれません。
今の日本は概念そのものを見失っているので、「お互いに受け入れる」ことができず、こちらが相手を受け入れっぱなしです。
こうして古来の概念が消えていくのは、とても悲しいことです。