「生きる」ことそのものが嫌になっているあなたへ。
私が辿り着いた答えを話すね。
私なんて生きてても仕方がない
私が生きても死んでも何も変わらない
もう疲れた
いつまでこの人生が続くだろう
病気にでもならないだろうか
そんな風に思ったことがあるあなたは、
きっと「生きる」ことそのものが嫌になって、
それでも頑張って生きてきた人です。
死ぬのは別に怖くない。
むしろ早く天寿を全うしたい。
でも自殺するほど病んでもない。
そんな感覚がずっと骨身に絡まるようにあるなら、
きっとあなたも心のどこか深ーーーいところで、
「生」を恐れてきたんだね。
大きな絶望と虚無感を抱えて、
いつ終わるとも知れない「生」を、
それでもあなたは生きてきた。
それは何でだと思いますか?
恐れの根源が「生」であること
心を学ぶと必ず出てくるものの一つに、「全ての恐れや思い込みの根っこは死に繋がっている」というのがある。
例えば「思っていることを言えない」という思い込みがある人は、
思っていることを言ったら嫌われる
→ 嫌われたら人が離れて行ってしまう
→ 人が離れたら仕事がなくなる
→ 仕事がなければ稼げなくなる
→ ご飯が買えなくなる
→ 死んじゃう!
みたいな連想で、最後に「死ぬ」に行き着く。
死なないために、
生きていくために、
「思っていることを言わない」を身につけた。
それは生きていくための戦略だった、ということね。
でも私は、本当にそうなのかな?ってずっと思ってた。
死ぬなら死んだ方が楽なのに。
「言えない」が「言える」になったって、
生きていく方が辛いに決まってるのに。
そんな戦略を作ってまで、
生きていなくたってよかったのに。
・・・って、ずっと思ってた。
「死」よりも「生」そのものが怖かった。
憎んでたと言ってもいいかもしれない。
恐れの根源が「生」である人もいるんだよ。
「生」を憎んだ人のお役割
恐れの根源が「生」であること。
「生」への憎悪と恐れは、
大きな絶望と、虚無感と、無力感を引き起こすんだね。
何もできない
何も言えない
自分が何かしたところで、何も変わらない
そんな思いを抱えて生きるなら、
そりゃー「死」は安らぎになるかもしれない。
生死に関わるような病気になれば、
喜んで「死」に自分を明け渡したくなるかもしれない。
いざ人生が終わる時がきたら、
「あーやっと終われる」
って思うかもしれない。
でも私は今、これだけは言える。
あなたはその大きな絶望と虚無感を抱えて、
それでも今まで生きてきた。
それは、あなたの命が強かったからだよ。
途中で終わっちゃう人だっているんだもん。
そんな中今まで生きてきたなら、
あなたは十分に強かったということだよ。
何もしていなくても、
ただ生きてきただけでも。
それほどの芯の強さを内に秘めた人だから、
「お役割」があるんだよ。
絶望を光に変えて
虚無感を光に変えて
たくさんの人を照らすお役割がある。
今までのいつ終わるとも知れない「生」を
ここまで生き延びたあなただからこそ、
あなたにしか出来ないことがある。
あなたにしか照らせない未来がある。
「お役割」を果たすこと
そしてもう一つ。
もしあなたが「生」に向き合わず、
お役割を果たさず「死」を迎え入れたら、
きっとあなたは後悔する。
私は後悔した(過去形)。
ここから先は信じられないような話かも知れないけど、
私は前世療法で、
その後悔した過去生を見てきた。
絶望と虚無感、そして無力感の中で人生を終えて、
死ぬ瞬間に「やっと終われる」と思った。
穏やかな病死で、
住んでた家で家族に囲まれて、
むしろ進んで死を受け入れた。
でもその時の私には、感情がなかった。
家族の顔もぼやけて見えなかった。
誰がいるのかさえ分からなかった。
家族に対して、
ほんの少しも「悪いな」とすら思えないまま、
家族がどんな人かも知らないまま、
繋がれないまま「生」を離れたこと。
死んでもやっぱり「絶望」した。
・・・。
だからね。
私はもう「生」を見失わないって決めたの。
ご縁のある人と大切に繋がろうって。
私一人にできることが小さくても、
同じく「生」に絶望する人を
あの手この手で励まそうって(笑)、
そう決めた。
どうして私たちは、
これほどの絶望と虚無感を抱えて、
それでも生きてこなければならなかったのだろうね。
私は、「それが出来る人だから」だと思ってる。
それを出来る芯の強さがあるから、
私たちは絶望と虚無を抱えて、
今世に生を授かった。
だからあなたもどうか、「生」を見失わないでね。
あなたのその深い絶望と虚無感が、
いつかたくさんの人に光をもたらすのだから。
それが出来る人だから、
私たちはご縁を授かったのだと思います。