英語に「甘え」という言葉はない?日本語の「甘え」と依存の違いは?

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外山周です。

英語にない日本語について、アメリカ人のホストパパと語ったシリーズです!

今日は日本語の「甘え」について語った時のことを記事にします。

あなたは「甘え」って何ぞや?という定義について、英語で(または日本語ででも)説明することができますか?

私はやはり出来ませんでした!(笑)

最近やっと日本語でなら説明できるかも?と思えてきたので、今日は私のホストファミリーとの会話から、「今ならこう説明するだろう」という内容までを書いてみたいと思います!

 

「甘え」と「依存」の違いが分からない

まず今から1年半前(平成29年夏)にパパと会った時の会話を紹介します。

パパは、どこかで「日本には独特の甘えという概念があって、それが組織の中で用いられている」というような記事を読んだのだそうです。

それですごく興味を持ったそうで、「甘えってつまり何なの?」という話になりました。

この時の私は、パパに「甘えなんて軟弱だ」と思われているような気がして、防戦一方の会話となりました。

 

ちか
んー、甘えっていうのはぁ、誰か相手に自分を分かって欲しいって思うこと?かな?それも何も言わなくても分かって欲しいってね。まぁ日本人どうしだと、推測し合っちゃって上手くいったりすることもあるんだけどね。いいことばっかでもないけどさ。
パパ
なるほどねー。
ちか
誰かと仲良くなるとつい、その人も自分と同じように考えてるって思っちゃいがちなのかもしれない。だから考えてることを口に出さなくなって、分かってくれてるはずだ!って思っちゃったりする。それが「甘え」なのかな。
パパ
でもそれってアメリカ人でもある気がするな。ただ「甘え」みたいに特定の言葉になってないだけで。

 

パパと一緒にネットで「amae」と入れて調べてみると、確かに「甘えはどこの国でもあるが、日本語だけがそれを特定の言葉にしているのだ」というようなことが書かれていました。

 

ちか
「甘え」にも色々あって、私は日本人がお互い頼り合う「甘え」のおかげで、国が発展してきたっていう一面もあると思うんだ。でも今は何かが変わってしまって…もっとこう、依存的になってしまったのかな。適切な「甘え」はいいけど、「依存」になったら良くないなって思うんだよね。
パパ
依存かー。それって自分に力がないってことだもんね。
パパ
僕が思うにアメリカ人は、それと正反対なんだ。多くの人の助けで何かを成し遂げたとしても、「俺ってすげーぜ!」ってなっちゃう(笑)。
ちか
(笑)
パパ
まぁでも僕らは同じ人間だから、属している国によってどの特性が強く出るかが変わるだけなんだよね。
パパ
We are same human.
We have same DNA.
How can we be so different?
パパ
だからお互いの国から学んで、真ん中を目指していけたらいいよね。
ちか
うーん、そうかなぁ。まぁそうかもね。

 

・・・。

この時パパには上手く言えなかったけれど、「そうかもね」と言いながら、実はちょっとモヤモヤを感じていました。

アメリカと日本は正反対。

だから真ん中を目指していけばいいと、パパは言います。

でも真ん中を目指すことが日本にとって良いことだとは、全然思えなかったのです。

「自分の力を信じれるようになる」だけではなくて、その力を民のため、社会のために使おうとする。

それが日本古来の和であって、本当の日本の強さだったのだということは、日本の古典を読めばすぐに知ることができます。

こういう文化的な背景に「甘え」も根ざしてきたのではないか?と漠然と思っていました。

だから単純に「ミックスする」とか、「お互いに学ぶ」と言われると、モヤモヤしちゃうんですね。

他国に学ぶのではなく、日本古来の精神性を学んでいくことこそが、今後の日本を豊かにするのではないかな?と思っています。

 

ママのおじいさん(移民一世)の話

ちなみに、日系アメリカ人三世のママも、「甘え」について移民一世だったおじいさん達の話をしてくれました。

 

ママ
私のおじいちゃんとおばあちゃんは、無言でコミュニケーションしていたよ。
ちか
あー、アイコンタクトで何言いたいか分かる、みたいな?
ママ
そうなの!おじいちゃんがふっとおばあちゃんを見たらお茶が出てきたりとか。おじいちゃんが身体を動かすと、おばあちゃんはビクッとするのよ。でも私の母は、とても自立したアメリカ人女性(日系2世)でね。おじいちゃん達を見て、「もー!耐えられないー!」ってよく言ってたわ(笑)。
ちか
ふふふ。大変だっただろうね。
ママ
でも晩年、おばあちゃんが先に身体が動かなくなってね。そしたらおじいちゃんは、すっごくお世話をしてた。それまでからは想像もできないくらい。
ちか
そうなんだ。すごいね、愛していないからおばあちゃんに色々やらせてたんじゃないんだ。それが愛の形だったんだね。
ママ
そうなのよ。

 

このお話に出て来るホストママのおじいちゃんおばあちゃんは、昭和初期に日本からアメリカに渡った「移民一世」です。

その後太平洋戦争が始まり、アメリカ政府から「帰化不能外国人」と指定をされ、強制収容所に入れられたという歴史があります。

そんな中で一度は財産を全て失い、戦後は時に「中国系」と偽ってビジネスを立ち上げた移民一世の生活を教えてもらえました。

ママのエピソードでは、大変な状況にあっても心が通っていることが「甘え」の本質なのだと言えそうです。

 

「甘え」が日本語にしかない理由

この会話から1年半経ちました。

今の私なら、「甘え」についてこう説明すると思います。

 

ちか
「甘え」っていうのは、自分が自分らしく振舞っても相手が受け入れてくれるって信じることで、そのくらいその人との繋がりを信じられることだよ。

 

ホストママのエピソードが近いかもしれません。

日本には昔から「滅私奉公」という言葉があって、組織や相手のために「自分」を抑えて尽くすことが、ごくごく当たり前だという文化的背景がありました。

だからこそ自分らしく振る舞い、思ったことを言い、またそれを受け入れてもらえる相手がいるということが、すごく優しくてありがたいことだったのでしょう。

一方アメリカは、自分の主張は言語でハッキリ言うのが当然の文化です。

組織のために尽くす文化もないので、英語に「甘え」に匹敵する言葉が育たなかったのも当然ですね。

日本の文化と国民性の中だからこそ、「甘え」という言葉が生まれ育ってきたのです。

 

とは言え私は長い間、「甘えてんじゃねーよ!」という精神で過ごしてきました(笑)。

でも最近は、素直に甘えられるということが嬉しいなって思います。

同時にとても難しいとも感じます。

自分らしく振舞うのだと自分で決められる自尊心と、絶大な自信、それプラス相手への信頼があって初めて、「甘える」ことができるのだと思うのです。

これがないと簡単に「依存」に転じてしまうし、甘えを抑圧しすぎると「超自立」になって苦しくなってしまいます。

依存と自立の絶妙な中間にある、人との繋がりこそが「甘え」。

これが「甘える」という一単語になっている日本語とは、なんと深い言語でしょうか。

 

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2 件のコメント

  • 私も英語を話すパートナーに甘えについて説明するのに困ってます。子供には甘えることが必要で、甘やかすことではない。でも彼は甘えは悪だと思っているんです。英語版の「甘えの構造」を読ませようと思うのですが、他にオススメの本があれば紹介していただきたいです。

    • Yoko Ariura 様

      ご返信遅くなりました!コメントを残してくださりありがとうございます。

      英語話者のパートナーと子供の「甘え」について話すのはとても難しそうですね…。甘えの構造は日本語でも割と難しいので、パートナーの方が本当に「読もう!」という気持ちになっていないと大変かもしれません。

      海外の方におすすめできる本がパッと思いつかないのですが、パートナーさんの甘えの定義がどんなもので、なぜそれが悪だと思っているのか?ということが分かると、また違った話し合いができるのではないかな?と僭越ですが感じました。

      本を紹介できずすみません。記事を読んでくださり、ありがとうございました。

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