外山周です!
アメリカ人のホストファミリーに、自殺と切腹の違いを聞かれました!
あなたはこれを英語で説明できますか…?
私は出来ませんでした!笑。
日本語でも説明するのは難しいです。「え?だって全く別物じゃん?全然違うよねぇ」としか言いようがありませんよね。
実はこう感じてしまう背景は、文化や歴史を超えて言語の性質にも隠れています。
アメリカ人に分かるように説明しようと思ったら、この言語の違いを考慮すれば良いのです。
パパとの会話から読んで、ぜひ参考にしてみてください。
アメリカ人から見た日本の「自殺文化」
ホストパパと会った時、なぜか「自殺」についての話になりました(週末のブランチの話題がこれです・笑)。
・・・
ということで、その場でパパと一緒に「日本の自殺」についてWikipediaで調べてみたところ、こんな風に書いてありました。
・日本社会は自殺に対して「寛容」である。
・むしろ責任のある行動として見なされる。
・歴史的にも昔のサムライによる「切腹」は、敗北や失敗に対して不名誉を避け、名誉を守る行動とされていた。
なるほど言われてみれば、確かにそうかもしれません。
これを見たパパには、新たな疑問が湧いてきたようです。
この話題に関しては、私が「頭で考えながら英語を操る」という作業がこれ以上出来ず、こんな会話で終わったのでした。
「なんか違うじゃん?」以外に思いつかなかったんだもの(笑)。そりゃー確かに自分で命を絶つという意味では同じですが、でも全く違いませんかね。
日本語と英語の違い
こういった概念を説明するには、英語と日本語の性質をちょっとだけ知っておくと便利です。
日本語は概念的
実は、日本語には「含み」があります。
概念的と言ってもいいかもしれません。
「自殺する」とか「切腹により」という言葉の背景に、事実以上の無限の情報が乗るのです。
しがらみがあったのかもしれない、本人もさぞ無念だろう、それ以上どうしようもなかったのだ・・・などなど、
私たち日本語話者は、言葉から無意識に事実以上の概念を拾う癖がついています。
「察する文化」とか言われますが文化だけでなく、すでに言語に染み込んだ性質なのです。
これが日本語という言語のもっとも難しい点でしょう。
英語は事実重視
一方英語は「事実」にフォーカスを置きます。
今回であれば、自殺も切腹も「自分で命を断つ」ことに変わりはありません。
名誉とか逃げとか、はたまた忠誠とか。
そんな「事実以上の情報」は、言葉に含まれていないのです。
日本語の「含み」を削ぎ落とす!
であれば、英語の話者であるアメリカ人のパパに「含み」を説明するには、極限まで単純化して伝えればいいわけです。
といえば、多分通じたことでしょう。
この極限まで単純化された、英語という言語。
余計なものの一切を削ぎ落とし、明確に、軽快に、ハッキリと断言をするこの感覚。
この感覚こそが、英語を使う上でとても大切になってくるものなのです。
日本語の感覚のままあらゆる言葉を尽くして説明するよりも、英語の感覚に変換することで、話せる内容が逆に増えるのかもしれません。
慣れるとこの軽快さは、実に楽ちんで楽しいものです。
何か英語で話したいことがある時は、ぜひ参考にしてみてくださいね。