外山周です。
昨日(3月17日)は、誕生日でした。
また無事に年を取ることができました。
昨日は朝からたくさんのお祝いメッセージをいただいたばかりか、
「欲しいものリストを公開する代わりに、ビリーフリセットの旅にカンパをください!」
と言ったらたくさんの人からご支援をいただいて、嬉しくてありがたい1日を過ごしました。
でも、去年まで誕生日は「普通の日」で、どちらかと言うと誕生日は嫌いでした。
「もーーー誕生日いらん!」という感じ(笑)。
今日は私の誕生日ビリーフ、誕生日にまつわる心理的な思い込みについて書いてみたいと思います。
誕生日は面倒な1日
去年まで、誕生日は「面倒な1日」でした。
プレゼントをもらったら喜ばなきゃいけない
お祝いを言われたらその人の誕生日を覚えなきゃいけない
祝われたらもっと「いい人」にならなきゃいけない
そんな「なきゃいけない」が常に付きまとっていた1日で、素直に「おめでとう」を受け取ることが出来なかったし、人をお祝いするのも苦手でした。
今思えば心の中では、1日中
「面倒だから祝わないでー!」
「寂しいからお祝いしてー!」
の2つが拮抗するので(笑)、心も体もすっごくしんどい過ごし方をしていたのだと思います。
去年の誕生日は寝込んで動けなくなって、心の学び仲間に心配してもらっていました。
懐かしい(笑)。
原点は4歳のパーティー
なんでこんな面倒な過ごし方をするようになったのかというと、やっぱり原点は小さいころにあります。
私の育った家は誕生日をお祝いする習慣がありませんでしたが、私が4歳の時の誕生日パーティーは唯一強烈に覚えています。
母が怒りながら料理を作り、食卓に私の好物とケーキが並んだ頃に祖父母が席について、私は祖父母と両親に、
「おかげさまで無事に4歳になれました」
「これからもいい子にします」
みたいなお礼と決意表明を言わされてから、やっと料理が食べられるのです。
あの時の異様な空気と、大人の絶大な存在感。
思い浮かべると今でも「うぇー」ってなります(笑)。
これ以外の誕生日の記憶が、1つもないのです。
その時の間違った思い込み
「お祝いしてもらったら、いい子にしなくちゃいけない」
「お礼を言わないと、お祝いしてもらえない」
多分小さい頃の頭で、私はこんな風に思い込んでしまったのです。
両親にプレゼントをもらって喜んだことも、好物を食べて喜んだことだって、きっとあったと思います。
でもそれを全く覚えていないのは多分、この間違えた思い込みが強烈にインプットされてしまったから。
大人になった今もずっと4歳の記憶に縛られていたとは、不思議なことです。
かと言って両親が私を愛していないというのも大いなる勘違いで、支配的で重苦しいエネルギーだったけれど、それは確かに彼らの愛だったのだろう。
今はそんな風に思います。
小さい頃に欲しかったもの
最近ようやく小さい頃の記憶を思い出しつつあります。
私が小さい頃に欲しかったのはきっと、
「お父さんとお母さんの子供に生まれてきてくれてありがとうー!ムギュー!」
「大好きだよー!ムギュー!」
って抱っこされることで(笑)、
それを当たり前のものとして受けとって、大声でキャッキャと笑ってみたかったのだと思います。
素直にお祝いを受け取って、心から喜んで、ありがとうと言う。
そんな当然のことをずっと出来ずにいたけれど、今年になってやっとそんな過ごし方をすることができました。
生まれてきてよかった!
今年の誕生日は、Amazonの欲しいものリストを公開すると前々から宣言していました。
でも今は欲しいものがまったくないので、ずっと行きたかった「ビリーフリセットの旅」にカンパをくれませんか??とお願いしてみることにしました。
最初は「リスト公開の代わりにお願いしてみよーっと!」という軽い気持ちでしたが、たくさんの方が協力してくれて、応援メッセージをくれました。
「世界は優しいんだなー」
と本気で涙腺決壊しそうになりつつ、実の家族から連絡が一切来ないことも忘れて、幸せな1日を過ごしました。
誕生日は、私から力を奪う1日でした。
でもそれは去年までのお話。
今年からは、「生まれてきてよかったなー」と本気で思っていけそうです。
これからは大切な人の誕生日にも、きっと本気で「生まれてきてくれてありがとう」って伝えていけると思います。
「ビリーフリセットの旅」については、次の記事で詳しく書きたいと思います!
Coming Soon!!