カードリーダー外山周の、
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毎週日曜18時〜20時頃に配信しています(・∀・)
・2023/4/2 「桜」という集合無意識
・2023/4/9 自分のエネルギーは自分で満たそう
・2023/4/16 命の調和、光と闇の共存
・2023/4/23 「1つの命」である、ということ
・2023/4/30 闇を極めると光に転じる
「闇を統合する」ということは、決して「闇」そのものが消えるわけではない、というのが今月のテーマでした。
「闇」は決して消えないけれど、「闇」のずっと奥まで目を逸らさず受け入れていくことによって「闇」が怖く無くなるんですよね、不思議なことに。
2023/4/2 「桜」という集合無意識
今年はお花見しましたか??
桜ってなんかいいですよね。満開の桜を見るだけで嬉しい気持ちになって、すぐ散ってしまうのを惜しく感じて、季節の移り変わりを感じて、こうして色んな気持ちが心に渦巻くのって最高にエモいですよね。
あなたは「日本人は桜を見ることで集合意識を癒している」という霊的な話を聞いたことがあるでしょうか。
集合無意識とは、私たちの先祖が採用した生き方や価値観、未消化のまま遺していった傷や痛みのことで、今も私たちの肉体に宿っているものです。
その集合無意識を、私たちがお花見をするたびに一つずつ消化しているというわけです。
もちろん意識してやっているわけではないんですけど、なんとなく「確かにそうかもしれない」と思わせるような説得力というか、納得感がありませんか?
私は今年初めて、この霊的な連鎖の正体の一部が分かったような気がしました。
私は先月ずっとナチュラルハイな状態で(笑)、今週も「今止まるわけにはいかねぇ」という謎のテンションで疲れた体を動かしていたんです。
一応「このままだと危ないな」っていう自覚はあったので、意識して体に留まる時間を作ってはいたんですけど、やっぱり気付くと「止まるわけにはいかねぇ」に戻ってるわけです。
そんな数日前の夜、無理矢理時間を作って友達と夜桜を見に行きました。
地面に座ってひたすらおしゃべりして、風が吹くたびに花びらが待って、頭や服にたくさん桜がついて、そんな時間を過ごしてたら、なんか本当にストンと何かが抜けてった気がしました。
その時に、「今止まるわけにはいかねぇ」という謎のテンションは、言い換えれば「止まったら死ぬぞ」ってことだったんだろうなと思ったんですよね。
それって私個人の感覚だけじゃなくて、何十年も昔からたくさんの日本人が抱えていたもので、そのおかげで今の日本があるんだなと思ったら、ありがたいな、私もこの人生を良く生きようってストンと思えました。
・・・昔から桜を思って詠んだ歌がたくさん残っているように、日本人にとってはもう細胞レベルで、桜を見ることがそのまんま瞑想になっていのかもしれません。
私たちは今も昔も、桜を見ることで時空を行ったり来たりして、最終的に「今ここ」に戻ってくるんですね。
さらに霊的に見れば、桜に重なった想念の視点からも色々語れちゃうと思うんですけど、私の思想がバレバレになってしまいそうなんで今日はこの辺で・・・(笑)。
まだ桜の花びらが残っているうちに、あなたもお花見=瞑想へとお出かけしてみてはいかがでしょうか。そしてこれからの未来にあなた自身がどこに行きたいのか、少しだけ心に問いを立てましょう。
今週もお疲れ様でした!
また1週間楽しくお過ごしください!
2023/4/9 自分のエネルギーは自分で満たそう
今週、「自分のエネルギーは自分で満たそう」っていう話をめっちゃしました。「自分の感情は自分で面倒みよう」のバージョンアップ形です(笑)。
私たちは本当に無意識のうちに、他人にエネルギーをクレクレしてしまうことがあります( ;∀;)
・心配しすぎる
・誰かに心酔する
・心の中でマウントをとる
・「ーーすればいいのに」と思う
・四六時中その人のことを考える
などなど、この辺り誰でもついやっているようなことが全て、実は「他人にエネルギーコードをがっつり挿している」のと紙一重なんです。
ちょっと思い浮かべてみてください。誰かに対して「あー大変!心配だわ!大丈夫かしら!私がいてあげないと何もできないんだから!」って言ってる人って、やけに生き生きしてたりしませんか?笑
同じように、例えばカリスマ性のある誰か1人に心酔している人も、影で「あの人の行動がマジで謎」って陰口を叩く人も、その瞬間は楽しそうだったりしますよね。
でも経験した人は分かると思いますが、「心配される」「心酔される」「陰口を言われる」ってだいぶしんどいじゃないですか。直接の被害があるわけじゃなくても、なんか元気が出なくなったりしますよね。敏感な人は特に覚えがあるんじゃないでしょうか。
これが「エネルギー的な境界線を越えられてる」ということです。
ただこれも決して悪いことではなくて、日本人は元々「境界線」の概念が薄い民族なので仕方ないんです。昔は境界線が薄いことで文化が成熟したり、命を守ってそれなりに生きられた、という側面もあったはずなんですね。
私たちはその名残で、「人の境界線を越えたらダメだよ」ということを教わらないまま、むしろ「境界線を越えることが愛情だ」という価値観の中で大人になってしまいました。
ですがこれからの時代は、個人が力を発揮する時代です。
気付いた人から「お互いの境界線を尊重する」に挑戦する流れとなるでしょう。
そのためにまず、「他人にコードを挿さなくても大丈夫な自分になる」というところから始めるといいですね!
試行錯誤しながら、「この方法なら自分でエネルギーを満たせる」という方法を探していきましょう。
その方法を見つけることが、実は「楽に自分らしく生きる」に直結しています(・∀・)
今週もお疲れ様でした!
また1週間楽しくお過ごしください!
2023/4/16 命の調和、闇と光の共存
私の大好きな漫画に「あの人は悪い意味で太陽みたいな人だから」っていう台詞が出てくるんです。悪い意味で太陽(笑)。私はこれがめっちゃツボにハマって、以来大好きな言葉です。
太陽は確かに生命を育んでくれます。
ですがもし太陽の力だけが強くなり過ぎてしまったら、例えば雨が降らず日照りが続いたりしたら、その地はひどい干ばつになって、やがてその土地の生命は死に絶えてしまいますね。
雲があり、雨が降り、夜がくる。
そこに共に存在するからこそ、太陽は「生命を育む存在」でいられます。
草木も動物もみんな、太陽だけでは生きられません。雨や夜が存在しなければ、太陽は「生命を育む存在」どころか、「生命を殺す存在」になってしまいます。
これはもちろん雨も同じです。太陽があるところに適度に降れば「恵みの雨」となりますが、太陽が見えないほどの雨雲が毎日空を覆い続ければ、やはり生命にとっては大打撃です。
この世の全てのものには「二面性」があるのです。
良い面があれば悪い面もある。
光があれば闇もある、ということです。
「良い面だけ」「光だけ」ということはあり得ないし、逆に「悪い面しかない」「闇しかない」ということもあり得ません。
太陽があり、雲と雨があり、夜が巡ってくることによって生命は育ちます。性質の違うものが共に存在し、調和することによって、初めてそれぞれの「良い面」が引き出されるんですね。
私たちの身体も同じです。脳、筋肉、骨、胃、腸、肝臓などなど、それぞれ機能の違うものが共存し調和することによって、私たちの命を生かしてくれています。どこか1つに負担をかけ過ぎて暴走させれば、たちまち体調不良になってしまいますね。
つまり、地球のシステムも体のシステムも、「性質が違うものがこうして共存し&調和することによって、それぞれの良い面が引き出されて全体で命を生かしていく」という前提になってる、ということなんです。
これだけ地上のシステムが同じ作りになってるということは、本当は私たち人間も同じ作りになってるはずです。
何も主張の違う者どうしで正義をぶつけ合わなくても、性質(文化や歴史)が違う者同士が共存&調和していくことが、本当は「地球」という一つの生命を生かすことになるように出来てるんです。
・・・私たちはとにかく自分自身から目を逸らしたいもので(笑)、自分の「二面性」を認めるのには勇気が要ります。
でも、そのプロセスを経た人だけが、きっと次の「共存&調和」の世界を見れるんだと思います。
その世界を見たい!と思う人は、まずは自分の光と闇に根気よく目を向けたいところですよね。それはどうしても動いてみることによって浮き彫りになっていくので、自分の状態に気を配りつつ、少しずつ出来そうなことをやっていくと良いでしょう(・∀・)
今週もお疲れ様でした!
また1週間楽しくお過ごしください!
2023/4/23 「1つの命」である、ということ
「狩人」のカードが出る時は、だいたい毎回「古代の狩りは動物の同意の下に成立してたんですよ」っていう話をします。
狩人は部族の命を守るために動物を狩りに森に入るわけですが、動物が「今回は狩られてやるか」と思ってくれた時(同意してくれた時)だけ狩りが成功し、動物のお肉を持って帰ることができるということです。
古代の狩人は、動物の意志を尊重していました。
同意が得られず、狩りを成功させられなくて=肉が手に入らなくて、それによって部族の子供が死んでしまったとしても、それもまた自然の摂理として受け止めていたんですね。
動物を恨むこともなければ、自分の狩りの腕を蔑むこともないんです。
この狩人のあり方もすごいですけど、動物側もすごいですよね。
狩られることに同意することは、そのまんま人間に殺されることと同じなのに、どうして「狩られてあげるよー」と思えるんでしょうか。
それは、現代を生きる私たちには理解しづらいかもしれませんが、狩人も動物も、「1つの命」があることに絶対的な信頼を持っていたんですね。
自分が肉体を去ることになっても、それが他の種族の命を生かし、全体の大きな「1つの命」の調和を紡ぐと知っているからこそ、時には肉体を「どうぞ」と差し出せるわけです。
地上では「狩られる」「食べられる」という現実が広がっているように見えても、そこにあるのは決して暴力的な痛みではなくて、神聖な命の調和だったんですよね。
・・・今、地上にはやたらと暴力的なエネルギーが飛び交いがちです。
私たちはあまりにも「1つの命」から自分を切り離し過ぎてしまって、誰かから与えてもらうことに慣れ過ぎて、求めることが当たり前になってしまったのかもしれません。
ですがそれもまた流れの一部であって、私たちの誰かが「もーーー嫌!もうこれ以上暴力的な波動はノーサンキュー!」と思うことによって、1人、また1人と「調和」へ立ち戻る方法を探していけるんだと思います。
まずは「あー確かに求め過ぎてる」「期待し過ぎてるんだわ」と自分で気づいてみることから始めていきませんか?
求めすぎることから卒業し、生命の繋がりを意識できる人が一定数を超えたとき、オセロの白黒がひっくり返るみたいに一気に空気が変わっていくでしょう。
その日を1日も早く召喚したいですよね。
今週もお疲れ様でした!
また1週間楽しくお過ごしください!
2023/4/30 闇を極めると光に転じる
今週めっちゃ思ってることがあります。
それは、お預かりした才能を使おうと志している人ほど、ある時期どこかで「なんで私の人生こんなんなんだろう」「なんで私がこんなことしなきゃいけないんだろう」「もう嫌だやめたい」「誰か何とかしてくれよ」と本気で嘆いた過去を持っている、ということです( ;∀;)
ほんと光と闇は表裏一体だなって思います。
才能と自信に溢れてキラキラ輝いて見える人には、ほぼ例外なくその「キラキラ」に匹敵するだけのどす黒い闇に呑まれて、そこで諦めずに自分の目で闇をしっかり見つめきった経験があります。
「なんで私の人生こうなの」「なんで私がしなきゃ駄目なの」って本気で嘆くと、気が済んだ時にふっと「まぁいいか」「お引き受けしましょう」「私がやるしかない」って思えるようになっていくんですね。
こうして闇を極めて光の方へ転じ始めた人は、闇をほとんど外に漏らさなくなります。
というか、闇を極めると闇を闇と感じなくなるんだと思います。
闇の先に光があると体で信じられるようになるので、闇を怖がることは無くなるし、むしろ「暖かい」とすら感じられるようになって、闇を味方につけることができるようになるからです。
そうなったら、もう「闇を漏らさないようにしよう」とか思うまでもなく、自然と外側へは迸らなくなってるんです。
・・・私ももちろん闇属性の人間です(笑)。
今まで何度も闇に呑まれたこともあるし、闇落ちしたこともあるし、「なんで私が!」嘆いたことも何度もあります。その度に何度も自分の意思で、「いや今世残りの人生をかけて、役割を全うする修行に入ろう」って決め続けてきました。
当時はまだ「死ぬ日まで修行だ」と思うことで自分を励ましてましたが、最近になってやっと気軽に「まー私にできることをやるだけっしょ!」って思えるようになってきました。
だから天命を生きたい人、次元上昇後の世界を見たいと望む人には、まず「思いっきり嘆いて」「そして自分の意思で “残りの人生を全部かける” って決め続けて」ってお勧めしたいです。
最初は闇がだだ漏れになってもいいんです(笑)。
ただ出来るだけ諦めずにいましょう。
何度も自分の意思で「よし!」と思い直していくことが、必ず少しずつ道を拓きます。
その先の未来で、ぜひまたお会いしましょう(・∀・)
今週もお疲れ様でした!
また1週間楽しくお過ごしください!
今月私は「少年姿の祖父と父を二人まとめて抱きしめる」っていう夢を何度も見ていました…!
エネルギーには「向き」があって、自分の内側へ内側へと縮小させていく方向と、逆に外側へ外側へと拡大していく方向があるなって腑に落ちました。そしてきっとそれは「闇と光」と同じように、内向きを突き詰めると外向きへ転じていくんですね。
何事も極めると反転するようになってるんだなって思うと、本当エネルギーって面白いです!
今月もお疲れ様でした(・∀・)
カードリーダー外山周の、
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外山周(CHIKA, Toyama)