神道と日本人
著者:葉室頼昭(外科医、春日大社官司)
1999年 初版発行
今日は図書館で借りて読んだ、最初の本から。
手元のメモを見てもよく思い出せなかったので、図書館に行ってもう一度読んできました(笑)。
国譲り神話
古事記にある「国譲り神話」。
出雲を治めていた大国主命(おおくにぬしのみこと)が、天照大御神の命令で出雲を譲り、お隠れになった。
これは「理不尽な要求で国を盗られた」のような見解がなされることも多いが、そうではないと思う。
全権を握っていた神様が「お隠れ」になり、人間からは見えないところで、信仰的な方面から国を治める。神様だから、政治の表には出てこない。
政治的なことは、朝廷に神様から力を与えて、取り仕切ってもらう。
土台に信仰、これを神様が司る。
その土台の上で、人間が国を治める。
政治的な権力を持つ者は、力と守るべき人民を「お預かり」している。
この構造だからこそ、良い治世を築こうとしていけるのだ。
現代もある「地鎮祭」
地鎮祭が行われる意味は、その土地に元々おられた神様にご挨拶し、「土地をお貸しください」「私たちをお守りください」とお願いすることだ。
自分の土地だから好き勝手やっていい、などとは思わない。
土地を自分のものと捉えず、神様の土地をお借りして、そこで仲良く一緒にやっていこうという精神から地鎮祭を行う。
ここでも、土台は信仰。その上で生活を営んでいく。
つまり、神様との「共存」を目指すのが、古来の日本人の知恵だった。
神様との共存、自然との共存、動物との共存。
日本人の力のヒントは、この共存にある。
感想
夜見の国の記事でも書きましたが、「昼は太陽の光に遮られて夜が見えない」という捉え方の通り、神の国とこの世はきっと、折り重なって存在しているのかもしれません。
上で書いた「お隠れになる」という日本語は、現在でも高貴な方に対して「亡くなった」という意味で使われています。
私たちの目には見えない所に行ってしまう=お隠れになる。
でもいなくなってしまう訳じゃなく、夜見の国で神様となり、ちゃんと生きておられるということです。
神様との共存を目指すということは、私たちが等しく「おおみたから」であり、体は神様からの借り物で、私たちがこうして生きている土地も神様からの借り物だと、そんな意識をしながら生きていくことなのかもしれません。
古代の日本人は、きっと今よりずっと感受性が鋭くて、そういうものを直感的に感じながら生きていたんだろう。

外山 周
幼い頃から思っていることを言えずに育ち、アメリカの大学をうつ病で中退。帰国後に就職して英語スクールの立ち上げで成功するも、燃え尽きて退職。その経験から心理セラピストを目指すが、その過程で婚約者と破局。そんな中でセラピーを極め、見えないものに敏感なことを活かして「癒える」と「言える」に寄り添うセッションを開始。恋愛セラピーが好評。
心理セッションと英語トレーニングを組み合わせた、独自の英語サポートも準備中。
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