祖父から受け継いだ「神道」。

私は祖父から、神道=日本的な精神を教えられたと思います。

あんまり宗教的なことは書かないようにしようと思ったのですが、「神道」の話を書いてみたいと思います。

 

祖父との生活

小さい頃に祖父と同居していて、朝になると一緒に神棚と仏壇に参っていました。

朝起きると祖父が布団を上げて、障子と窓を開けて軽く掃除をし、神棚の水を変えます。

そして明るくなった部屋で、まず神棚に柏手をうち、その次に仏壇でろうそくとお線香に火をつけてお参りします。

祖父は、決してこれを家族に一緒にさせようとさせず、一人で黙々とやってました。

私は祖父が好きだったので、いつも真似して一緒に神棚と仏壇に手を合わせていました。

 

祖父の柏手は「パン!」とした音が鳴って、その瞬間空気がパキンと通る感じがするんです。

でも私の柏手は、「パチン。」みたいな音で(笑)、子供ながらに「なんでだ?」と不思議に思っていました。

多分手の小ささとか、厚さとか、叩き方とか、色々あるんでしょうけど…最近神社に参拝すると、いつの間にか私の柏手も、祖父と同じような音になったなぁと思います。

あんなに澄んだ音はまだ出せないけど、いつか出せるようになるかな?と毎回思います。

 

教わった宗教観

神棚は日本の神様で、仏壇はご先祖様だと教わりました。

柏手を打つのは悪いものをびっくりさせて追い払うためで、仏壇にろうそくを立てるのは、炎を見てご先祖様を思うためだとも教わりました。

特に仏壇のろうそくは、炎の揺らぎ方や燃え方で、ご先祖様の気持ちや存在を考えるきっかけにするのだそうです。

祖母はやっぱり女性っぽくて、よく「炎が小さいからご先祖様が悲しんでる」とか言ってましたが、祖父はそうではなかったと思います。

たぶん、一種の瞑想のようなもので、自分を振り返る儀式のようなものだったんだと思います。

 

多神教である神道

こんなにも「宗教」が身近にある中で、「祈り」とかは一度もしたことがないし、守るべき「教え」も意識したことがありません。

神様に祈ったことは一度もなく、むしろご先祖様と同じくらい身近な存在として捉えていましたし、神頼みするなとも教わっていました。
(参考:「厄落とし」って何?昔祖父に聞いた話

これが多神教である神道の、すごいところだと思います。

日々の生活の中で、ただ年長者から「概念」だけを受け継ぎ、生活に組み込んでいくのです。

 

きっと昔の日本には、これが当たり前だったのだと思います。

でも戦後になって、それを失ってしまった。

一神教のように「神」はいないし、経典も教えもない。

だからこそ、生活を取り巻く環境が変わると忘れてしまうのだろうと思います。

私も、長らく忘れていました。

幼少期に祖父と暮らしていた私でさえそうなのだから、今の日本人から神道が消えるのは仕方ない気もします。

 

まだ思い出せる

今でも多くの日本人が神社に行き、柏手を打って参拝をしています。

思い出したい人は、まだ思い出せると思います。

神社の本も、前より格段に増えました。

生活に根づいていた神道が完全に消えてしまう前に、もう一度自分の生活を考えたいと思う最近です。

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外山 周

外山 周

TOYAMA, Chika
英語トレーナー。心理カウンセラーを目指して勉強中。
夢は、心理セッションを融合させた英語トレーニングを開発すること。
神道が好き。

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