実家の掃除メモ4:現代の「付喪神」考察

今日も実家の掃除をしています…実家に来てから今日で5日め。こんなに長期間実家に滞在したのは、社会人になってから初めてです。

 

牛乳パックを発見…

今日、牛乳パックが大量に出てきました。使ってない部屋の隅に高く積まれていました。

母に聞いてみると、やっぱり捨てるか捨てないかで、恒例の会話になりました。

母「孫とお城を作って遊ぼうと思ったの」
私「そ、そうなんだ。孫と遊びたかったんだね」

母「まだとっておきたい。孫と一緒に遊ぶときに使うかもしれないし」
私「そ、そうなんだ…捨てたくないんだね…」

と言いつつ、今日はすっかり戦意喪失しました(笑)

 

 

現代の「付喪神」の正体は執着心ではないか

昔の人は「付喪神」と言って、長い年月を経た物に霊が宿るとしていました。人をたぶらかすとか、百鬼夜行とか、色んな言い伝えがありますが、私は個人的に、「持ち主の人間のエネルギーが、長い間かけて一部移っていき霊性となる」という考え方が気に入っています。

現代にも「付喪神」という考え方を当てはめるとすれば、意味が全く違ってくると感じます。

短期の役目を終えた物をそのまま取っておくと、そこにエネルギーが溜まってしまう。その実態は「手放せない」「無くなったら困る」という人間の気持ちから来る執着のエネルギーで、持ち主の人間が自分の中に抱え込めなくなった分が、物に付着しているんじゃないか…。

と、そんなことを考えながら、実家の物達と向き合っていました。

 

牛乳パックだけじゃなく、他の役目を終えた物たちで、家中の部屋が埋め尽くされています。両親の居住区にも、物があふれ始めているようです。

祖父母と一緒に住んでた頃は、もっと物が少なく整然としていました。もちろん両親の家だって、最低限の物しかなかった筈なのに。今の実家は、祖父母の家と両親の家、2件分の荷物が全て詰め込まれていて、エネルギー的に非常に重苦しい感じです。

 

「葉っぱを見ないで根っこを見て」

母が色んなことを話す時は全部本質的なことじゃなく、母の考え方や在り方から生じる「結果」なんだと、すごくよく分かるようになりました。それが分かるから、長く一緒にいられるようになったのかもしれません。

母にもわかるように説明しようと思って、木に例えて話してみました。

その文句や不満は、全部葉っぱや実に過ぎないと。根っこや幹に栄養が行きわたれば、葉っぱのつきかたは変わるよ、と言ってみました。

これについては不満そうでしたが(そりゃそうだ)、私も長い間理解が出来なかったので、仕方ないですね。

この辺のエピソードは、また機会があれば詳しく書きたいと思います。

 

ちなみに、牛乳パックは結局捨てました。

気晴らしに外に出て戻ってきたら、母が「やっぱり捨てる」と言って捨てる準備をしていたので、手を痛めている母に代わって私が全部切りました(リサイクル用に切り開く地域なのです)。

昔、祖父が私が遊んだ後の牛乳パックを、こうやって延々切ってくれたことを思い出しました。私にとっても、祖父を知る良い機会になりました。

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外山 周

外山 周

TOYAMA, Chika
英語トレーナー。心理カウンセラーを目指して勉強中。
夢は、心理セッションを融合させた英語トレーニングを開発すること。
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